隠居の独り言(830)

佐賀に伝わる葉隠れの「武士道と云うは死ぬ事と見つけたり」の文言は有名だが、
今の生命倫理や死生観からみれば幕末に生きた志士の何と死に対して淡白なのか?
自らの主義のために命を賭し、みなぎる彼らの胸の内は想像もつかない厳しさだ。
幕末随一の思想家の吉田松陰鎖国の禁を犯した罪を自ら自白して安政の大獄
斬首されたが思想を「死」をもって世間に訴えた。良し悪しはともかく辞世の句
「親思う心に勝る親心、今日の音づれ何と聞くらん」の詩は親への申し訳無さも
親は今日の訪れ(音づれ)を何て思うだろうと自分の死を直視する余裕も見える。
当時の日本人、とくに武士階級は儒教的な精神の普及から主君あっての命であり
仕える主君のためには命がけの戦争も厭わず主君が亡くなれば後追い殉死であり
個々の命の尊厳の意識さは無かったのではないか?かつて忠臣蔵の仇討ちの心も
昭和の戦争末期の特攻隊を志願した学生も、測り知れない純粋な死生観があった。
ドラマ「竜馬伝」で土佐勤王党平井収二郎宮迫博之)も拷問され殺されるが
切腹して死ぬのは武士の誉れと死に方に感謝したし、半平太(大森南萌)も竜馬
福山雅治)の帰国の反対を押し切り、帰れば捕縛されて死罪に追いやられるのを
承知の上で自らの意思を貫いた。半平太は妻の富(奥貫薫)を考えなかったのか?
人が大切なのは道徳であり後世に伝えるため命を引き換えに捧げたのではないか?
彼が獄中で書いた辞世の句は「花依清香愛 人以仁義栄 幽囚何可恥 只有赤心明」
花は清香に依って愛せられ、人は仁義を以って栄ゆ、幽囚何ぞ恥ずべき、ただ赤心の
明らかなるあり。あれほどの苦しみと屈辱を強いられても藩主・容堂を恨もうとせず
自らの命より武士道を見つめている。何年か後に、容堂は半平太の辞世の句を詠んで
切腹させた事を後悔し、容堂が死の病のとき半平太の名を半狂乱で呼び続けたという。
以蔵(佐藤健)も処刑されたが半平太に毒を盛られたのを知り彼を恨んで死に就いた。
「君がため尽くす心は水の泡 消えにし後ぞ澄み渡るべき」以蔵は最期も哀れだった。
半平太36歳、以蔵28歳、無念にも歴史のページから消えていった。