隠居の独り言(840)

昭和に生まれ昭和に育った者には毎年夏が来れば終戦の年は昨日の如く蘇える。
1945年の夏も暑かった。小6年の軍国少年の心は燃えていたが食糧難と毎日の
空襲警報で戦争の自信を失いかけていた。学校は休校に等しく生徒は勉強より
食料増産のため集団で近くの山麓にある畑を耕した。終戦の日も野良仕事を終え
家に帰って母から戦争が終わったと聞いたが俄かに負けたとは信じられなかった。
大人達が泣いていたのは悲しかったが、あの涙は何だったのか今も分からない。
あれから65年、毎年八月になればマスメディアは戦争の悲惨と反省ばかりだが
これでは何年経っても日本人としての誇りや自信が生まれてこないのは当然だ!
たしかに先の戦争は我が国にとって愚かだったが何故そうなったのかを考える。
歴史にイフは無いが何故世界の趨勢の逆を走っていたドイツと手を組んだのか?
何故国際連盟で日本が中核的役割を担っていたのに脱退をする愚挙に出たのか?
何故アメリカが満州国や満鉄の共同開発を申し出たとき断わってしまったのか?
何故濾溝橋で中共軍から攻撃を受けたとき、蒋介石軍と手を結ばなかったのか?
何故アメリカやイギリスの悪意に満ちた対日石油禁輸措置を見抜けなかったか?
戦争に至る原因やキッカケは枚挙に遑が無いが負けたことで自虐的になるより
これらの反省を国の将来の指針にするべきだし国民ももっと知る努力が欲しい。
平和をいくら叫んでも残念ながら平和はやってこない。現在の平和を保つには
国防力を強く充実し喧嘩するときは断固喧嘩をするという大勇猛心が無ければ、
いかに名論卓説でも小才子としか認められない。それが国際常識というものだ!
残念ながら中国、朝鮮半島、ロシア等の近隣諸国は心の底から仲良しになれない。
相手に気遣いばかりの弱腰外交で領土は戻らないし金ばかりを毟り取られている。
戦後にGHQは「戦前の日本は軍部の支配の下で真っ暗闇だった」と宣伝した。
そんな暗闇の中で喘いでいた日本人を連合軍の勝利によって自由と民主主義で
解放したという筋書きで占領のプロバガンダとして活用した。果たしてそうか?
戦前の自由と民主主義でいえば不完全ながらも大正デモクラシーや昭和モダンの
自由闊達な時代が存在していた。お祭や納涼大会も大勢の人で賑わっていたし
親に連れていってもらった遊園地は今と殆ど変わらない。小売店もデパートも
豊富な商品で溢れていたし「私の青空、小さな喫茶店」など明るい歌が流れた。
思想面でも戦争が始まる直前までは共産主義者以外は民主主義が確立していた。
どこが暗闇か?逆に質問したいくらいだ!でも「戦前真っ黒論」は定着していく。
戦後文化人という連中がGHQの手先となって日本の現代史を黒く塗りつぶした。
国益というものがある以上戦争は絶えないが、負けたからって自虐的になるより
負けた原因を自省するのが筋道だろう。アメリカの原爆投下は畜生道の極みだし
ソ連の殺戮や抑留の欺瞞と悪逆の蛮行でも彼らは今でも正当化の旗を降ろさない。
原爆の後遺症の事やシベリア抑留の賠償はアメリカやロシアに求めるべきなのに
敗戦の重みは自らが傷を舐めあっていかなくてはならない惨めさがとても辛い。
連合国の東京裁判は勝者のための歴史を作る茶番劇のリンチだが今なお後を引く。
戦後の左翼的思想の教育者達が作り上げた文章としか思えない中高校の教科書の
東南アジア侵略、従軍慰安婦南京虐殺、等々の自虐史観の記載は実に情けない!
戦争で命を落とした兵も勝った方は名誉の戦死だが負ければ犬死同然ではないか!
生命の尊厳には勝ち負けは関係無いはずなのに戦没者が祀られている靖国神社
総理大臣が参拝出来ないとは日本人としての誇りを捨てたと言って差し支えない!
周辺諸国の顔ばかりを窺って常識的な自主憲法改定すら出来ない国がどこにある!
いつになったら世界の大人になれるのか?もう、いじめられっ子の日本は沢山だ!
毎年夏が来れば思いは深い!日本人として生まれたことに感謝し祖国を愛したい!


PSしばらく夏休みでペンを置きます。