隠居の独り言(845)

子供の虐待が相次いでいる。他人の子供を傷つける馬鹿な大人もいるが大抵は
自分の子供である。虐待するなら最初から作らなければいいのにと大抵の人は
思うが「うるさかった」「邪魔だった」「死ねばいいと思った」虐待した親達の
共通した供述だ。最近とみに目にするのは、虐待とまでいくかどうかの兆候に
子供に当たり怒鳴っている親達の何と多いことよ!ならどうして子を作ったか!
その親の大半は子を作る気は無かったのに出来ちゃった、という事なのだろう。
親になるつもりは無かったが男女の快楽に溺れてこうなったという流れの親は
昔に比べて格段に増えたのではないか?統計を取らなくても現実として感じる。
森羅万象の生物は自然に委ねて雄と雌が合体して子を儲けて種を後世に伝える。
生けとし生きる自然界の生物はどれも確実に子を慈しみ育てているではないか!
人間もまた生物の一種だから自然体であれば愛し合った男女が子孫を残すのは
当然の行いだが他の動植物と異なるのは人間には自由意志というのがあるから
安易に恋に走る。繁殖のためなのか、快楽のためなのか、何ゆえの結合なのか?
人は誰も善意と悪意の両極を持ち合わせているが自分さえ良ければいいという
未熟な自由意志の履き違いが悲劇を生む。悲しいかな、子には親を選べない!
世間は虐待をした人を「人間ではない」というが人間だから出来る所行であり
ふとしたキッカケで地獄に堕ちてしまう魔の危険性は誰もが持ち合わせている。
これは生物のサイクルに対して人間は自然を弄び冒瀆しているのではないか?
「親になる資格が無い」と言うなら異性を愛する資格が無いと言うべきだろう。
異性を愛するのは親の資格とイコールで子を肉体的、精神的に一人前の大人に
育てあげるのはこの世で最も難しい仕事であり、対して恋愛とやらの男と女の
快楽の行為はこの世で最も易しい仕事といえる。それらの両極の抱き合わせが
人生の妙味であり、生涯を賭けてのロマンというものだ。その辺りの倫理観と
人生観を、モノの豊かさの中で育った現代の若者に知って欲しい。