隠居の独り言(850)

先月、東京拘置所の刑場がマスメディアに初めて公開された。死刑囚が乗る踏み板の
赤い線を見ると、いやおうなしに死刑制度の是非を考えさせられる。囚人の立場では
いつ来るか分からない刑の執行の恐怖から拘禁ノイローゼになる死刑囚も多かろう。
犯した罪を考えれば被害者に対して命で償うのは当然としても時が経てば後悔の念を
覚えて正常な人間に戻る死刑囚も多いと思う。日本の刑の執行方法は絞首刑とかだが
どうして今さら残酷ともいえる刑場の秘密のベールを剥がすのか意味が分からない。
最近は執行された人の名を公表しているが刑場公開と絡めてこれは見せしめのため?
公開が犯罪の抑止力になるのかは別にして、世界は死刑を無くしている国が増えても
凶悪犯はやはり被害者の遺族の感情からも死で償いをしてもらわないとやりきれない。
死刑制度の是非はさておき、刑場の公開の日と前後して、臓器移植法の改正があった。
家族の承諾があれば脳死した人から臓器提供が出来るようになったというが今までは
法律の壁で海外に移植を求める人も多かったが世界的な国民感情からも結構と思う。
それでも移植される臓器が無くて無念にも命を絶たれる多くの無常さはやりきれない。
そこで思いつくのは死刑囚にも臓器の提供の意思の確認をしてみればどうだろうか?
待ちきれずに亡くなっていく患者の無念を思えば一人でも多くの臓器が求められるが
死刑囚の中には自ら臓器を捧げるのがせめて罪の償いの一部と願う感情もあるだろう。
無論、臓器の提供ともなれば全身麻酔で絞首刑という残酷な執行よりも苦しみもなく
麻酔で眠るように死を迎えられるはずだ。囚人にも犯した罪のひとかけらでも償える。
患者の中には死刑囚の臓器を拒否する人がいるかもしれないが提供者の名を伏せれば
わからない。死刑執行も安楽死が人道的だし、臓器と犯した罪との関連性は全然無い。
法の改正が必要かもしれないが、倫理観はそれぞれでも人が救われればいいと思う。