隠居の独り言(871)

大河ドラマ「竜馬伝」で、竜馬(福山雅治)と山内容堂が直接に会った史実は
定かでないが当時の情勢の容堂のかたくな気持ちを変えた状況的証拠は竜馬が
命懸けで容堂に訴えたこと以外に見当たらない。あくまで武力討幕を主張する
薩長両藩とプライドの高い徳川慶喜の幕府では日本を二分する全面武力衝突は
当面避けられないとの見方が占められていた。全面的戦争ともなれば薩長側の
イギリスと幕府側のフランスとの代理戦争の様相を呈して、どちらが勝っても
日本は植民地化する。戦争を避けるための大政奉還は幕府に最も忠節を尽くす
容堂から慶喜へ直接に建白書を提出して幕府側の翻意を促すよう説くしかない。
竜馬は容堂に「上士が下士を虐げる、この土佐の身分制度の古い仕組みを改め
大政奉還となれば幕府も藩も武士も無くなるでしょう。でも戦争は国を滅ぼす。
新しい世の中を作る魁となって御殿様が建白書を提出してください」と訴えた。
その建白書の基となったのが、竜馬が象二郎(青木崇高)に示した船中八策
アイディアで象二郎が共感し、それを容堂公が受け入れたので大政奉還という
無血革命が成り立った。その昔、源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから700年近い
武家による統治が今、終わりを告げようとしている。その歴史を動かしたのは
天皇でも将軍でも藩でもない。一介の脱藩浪人が大きく育ち、やがて藩主から
将軍へ・そして時代をいい方向へ大きく動かした。奇しくも143年前の今日、
1867年11月14日不気味な京都市内の静寂は破られた。「二条城に登城せよ」
在京10万石以上の諸藩藩邸に伝令が飛び、場内二ノ丸御殿大広間に重役達が
集められ下段で平伏して15代将軍・徳川慶喜公の自らの重大発表を耳にした。
「従来の旧習を改めて政権を朝廷に返上する」と言葉そのものは少なかったが
大政奉還の意が明確に将軍から示された。みな驚天動地の心境に声は無かった。
惜しむらくは歴史的瞬間に真の功労者である竜馬が参内できなかった事だろう。