隠居の独り言(874)

甥が勤めていた会社を定年になった。まだまだ60歳では心身ともに壮年の盛りで
ここで仕事を辞めるのは若すぎる。定年とは会社の「戦力外通知」を言い渡され
画一的に解雇される事で本人は実に無慈悲な刑の判決を受けた気分になるだろう。
若い時から縦社会の定められた仕事をして今さら職探しや新しい仕事を始めるのは
もはや不可能に近い。しかも日本男性の平均寿命約80歳だから定年になった後の
ほぼ20年間をどうして生きればと途方に暮れている人も多かろう。日本の企業は
だいたい60歳を定年としているようだが有能な力を持った人を無駄にする場合も
あるので定年制そのものを考えるべきではないか? そもそも60歳辺りが定年と
決めたのは戦後間もなくの年代で当時の平均寿命は50歳そこそこだった。つまり
生涯現役が本来の趣旨だったのに年齢だけが寿になり年金や医療制度にも想定外の
経費が掛かって国の財政を圧迫している。それなら定年齢を延長すればいいのだが
頭の固い役人や経営者と社保庁を変えないかぎり無理だろう。人間の体は年相応に
働くように出来ているのが普通だが、何もせずに体を休め気持ちまでも退化すれば
老化の加速度がますます早く進む。作家・渡辺淳一の「弧舟」は、定年後の夫婦の
あり方について書かれた本だが、晩年の男たちの哀れな「弧舟」はひとごとでない。
我が家に新聞を配達する人は70歳前後と思われるが元サラリーマンだったという。
「年を取れば足腰が弱るだろうから早朝に新聞配達!おかげで元気です」と言って
駆けていったが今では販売所を任されて収入もあるらしい。まさに健康法と仕事を
兼ねて一石二鳥だ。ある年齢になって退職した人達の会合で昔の上下関係に拘りを
持つ人が多いと聞くが美しくない。偉かった人ほど肩書が無いと心もとないという。
昔の栄光を捨てるのは容易でないが過去の蓄積を生かすのが粋な人生の円熟だろう。
履歴や肩書の執着を捨て、ついでに歳も捨てて「今なにをやっているのですか」と
人に聞かれ、今の自分をしっかり語れる人は素敵だ。男の晩年を美味しくするのも、
不味くするのも心がけ次第といえる。