隠居の独り言(902)

世の中の科学の日進月歩は素晴らしい。幼いころに我が家に蓄音器があった。
当時の世相から蓄音器が家庭にあるのは珍しいことで音楽が好きだった父が
どこからか仕入れてきた。蓄音器はポータブルと称し四角い箱型で手回しの
動力でレコード盤を回して鉄針が盤の溝をこすって音が出る。レコード盤は
落すと割れる代物だったので慎重に扱ったが、入れ物は洒落た八角の木箱で
20枚ほどの盤が中で並んでいた。親父はコンチネンタルタンゴが大好物で
イタリーの庭、奥様お手をどうぞ、小さな喫茶店など少年もこっそり聴いた。
こっそりとは戦時中は外国物は敵性音楽としてタンゴなんて滅相もなかった。
戦争が終って蓄音器の動力は電気になり、やがて音がステレオになっていく。
針も鉄からダイアモンドになり、レコードはSPからLPになって時間も長く
柔な品質もアセテートになって割れなくなった。やがてテープの時代が出現、
居間のステレオセットにオープンリールがあれば音楽ファンはご満悦だった。
今はYou Tubeの動画で聴ける結構な時代だが、次世代の機器は想像の外だ。
でも考える。今の自分はラテン音楽に夢中だが曲目の殆どといっていいほど
半世紀以上も前に作曲されたものばかりで科学の進歩と完全に逆行している。
ラテンに限らず音楽全般にいえることで最近の音楽はどうしても馴染めない。
自分が上京したころの1940-50年代にラジオのS盤アワーという番組では
世界の数々のポピュラーの名曲がキラ星のように誕生しては放送されていた。
クラシックが19世紀に滅びたようにポピュラーも20世紀を境に沈んでいった。
考えればハード(科学)が発達すればするほどソフト(芸術)が廃れてゆく。
人は科学を追求するのも結構だが文芸を追求することを忘れてはしないか?
便利さが人間味を損なっている気がしてならない。