隠居の独り言(914)

三月は別れと出会いの季節だが遠い昭和の時代に体験の哀しい男の物語を一席。
その男は世帯を持って40数年は過ぎたが同級生の中では遅い方になっている。
出遅れたのは20代後半の適齢期に、なけなしで商売を始めて軌道に乗るまでは
妻子を養う資格が無かったからで胸を張って嫁を貰う自信を持ち合わせなかった。
でも小さな自尊心を言えば、もてなかったせいではない。要するに女性と付き合う
タイム&マネーが無かったし無責任な行動もしたくなかった。当時の流行言葉に
結婚のタイムリミットは男は月末(30)、女はクリスマス(25)とされ男30歳以上は
「蛆が沸く」と軽蔑され、女は「売れ残りのクリスマスケーキ」と揶揄された。
東京の下町には世話好きのおばさんには事欠かなかったが仕事も落ちついたので
お願いをすると写真と履歴書を用意するよう言われた。おばさんは見合い写真を
何枚か持っていて仲人した件数が生き甲斐だった。ひとまずお見合いに応じたが
最初の女性は白百合のような清純な人だった。とても好感がもてたし彼女と話も
弾んだが翌日にお断りの返事を頂いた。ご両親が反対との事、それなら最初から
履歴書で分かっているはずだと複雑だったがこれがお見合いの限度と妙に悟った。
二番目に会った女性は花水木のような爽やかな人だった。二回のデートをしたが
「私にはご立派過ぎて」との理由で断られた。少し傷付いたが言葉が嬉しかった。
でも三度目の女性もおばさんを通じた言葉は丁重で、やっと常套句のセリフと
気が付いた。四度目は彼岸花のような華やかな人だった。互いに好感を持ったが
三回目の約束した場所に数時間を待ったが何故か姿を現さなかった。その時点で
四戦四連敗!自信喪失した哀しい男はおばさんにお見合いの話を断ることにした。
現在おわすヤマノカミは得意先の紹介で写真も履歴書も無く喫茶店で初めて会い
その後ウン十年そのまま我が家に居続けて今は牢名主の地位にいる。最近になって
「耐え難きを耐えた40数年」と呟いているかも知れない。光陰矢の如し・・