隠居の独り言(919)

今日4月4日は所帯を持って46年目に当たる。「結婚46周年」と誇って書きたいが
語感からの華やかさも薄く結婚式は内々の質素なもので指輪交換も新婚旅行も
省略した形だけの式だった。独立して僅か数年のヒヨコには世帯を持つ資格と
自信が無かったが清水の舞台から思い切って飛び降りた。それより貧乏小僧に
よくぞ人生を預けてくれたヤマノカミの決心には老いた今でも頭が上がらない。
糟糠の妻と喧嘩で罵詈雑言の限りを浴びせられても一方的に白旗を上げるのは
結婚当初のいきさつが多分にあるが大抵の家庭円満の基本的姿勢は夫が女房の
尻に敷かれているのが無難ではないか。しかし不思議というか神の配剤というか
赤い糸の偶然の絡み合いはどこで采配が決まるのか?自分史という長編小説の
一ページは白紙だが、そこから始まるストーリーがいっぱい用意されているのに
不思議な出会いは筋書きが決まって元の白紙に戻れない。裏も表も見せ合って
やがて子が授かり所帯年数が増えればナマの感情をぶつけあって許されるのは
この世で配偶者しかいなくなる。誰もがソト面とウチ面があり他人さまの前で
いくらカムフラージュをしても夫婦間はナマの感情をもろに出すのは普通だし
感情的な違いがあっても損得を共有した配偶者というのは貴重な存在といえる。
顧りみれば両親も本来の素顔を見せることはなかったし、親になって我が子には
良い人間であろうとする。逆説的にいえば配偶者と安心して喧嘩が出来るから
外の人に対してエーカッコシーでいられる。先日アメリカの不世出の美貌女優
エリザベステーラーが亡くなったが今生の幸せを独り占めにしたような彼女は
8度の結婚を繰り返し奔放に生きても晩年は看取る相手が無く淋しく世を去った。
人間は何を指して幸せという尺度は無いが、天の配剤の唯一のヤマノカミから
年中攻撃を受けているうちが、いい塩梅の老後の暮らしと妙に達観している。