隠居の独り言(928)

昭和が懐かしいといっても人によって生まれた年月日も違うし、どの時代を捉えて
懐かしがるのか一括りには言えない。ただ第二次世界戦争を陶然と思い出す年代の
人は少数派になったのは確かだし戦後間もなくの焼け跡闇市の風景を懐かしむ人は
もう一割にも満たないだろう。昭和一桁生まれでも少年時代の戦争の記憶の中では
欺瞞に満ちた大本営発表の新聞記事で興奮したり戦争末期には空襲に怯えた後方の
体験でしかない。昭和20年代に上京し帽子製造の修行したとき働いていた職人の
多くが外地からの引揚者で戦争を直に体験したことを昼食時や三時の休みの時間に
話してくれるのが戦争の実話だった。お茶を飲みながら戦場での話が深入りすると
それは何かいけない世界を覗き見するようでとても興味深かった。様々の体験話は
人によって戦場の場所により違うのは当然だが戦争とはとんでもない事態の連続で
平和な時代の炉端での話は異次元の違う世界を知るようでつい聞き入ってしまう。
なかには残虐な事を露骨に話をされると戦争とは勇ましく、きれいごとでない事を
あの職人を通じて知った気がした。終戦になり軍国主義アメリカ式の民主主義に
移行されて自由とか平等とかという言葉が飛び交った当時だが、大人だって実際に
分かっていなかったと思う。主義主張はともかく今にして思えば例えば民主主義の
シンボル的な存在物は公団の団地の建物や現代的なマンションではないだろうか。
同じビルの中に同一の住居空間が平等に合理的に格納されている。玄関も勝手口も
一つの出入り口に統一されお座敷の替わりにはリビングルームが癒しの場となった。
自由という名のもとに家族が核分裂し人口の割に世帯数が増えた結果で住居空間が
増え続けたのだろう。家族観が大きく変わり「自由と平等」を求めた昭和の時代は
これで良かったのだろうか?人との繋がりも含めて軌道修正が必要の時期と考える。