隠居の独り言(934)

東日本大震災で亡くなられた方の数字を毎日のように見る度に思うのは瞬時にして
命を奪われた理不尽な自然の仕業とは何と無常なことか、何と人の命の儚いことか、
災害とは突然の事で、当然に人の命は致死率100%と分かっていても理不尽な死は
とても悲しい。酷な言い方だが命を落されたのは神の摂理なのかとも思いたくなる。
出来るなら歳を重ねた自分と替わってあげたかったが命の順番は誰にも分からない。
自分も年齢を重ね両親を見送り友人の葬式に出席が増える度に「次は自分の番」と
意識せざるを得ないが、そろそろ若い人に次の世代を譲る順番が来ているのだろう。
仕事や子育てに夢中になっている頃は「死」は遠いがリタイアで社会から遠ざかり
自分の時間が多くなれば、お迎えの準備が必要だ。話は暗いが少子高齢化の影響で
最近は「直葬」の形式が増えているという。つまり葬儀しないで火葬場でそのまま
終わりというもの、火葬された遺骨をどうするのか、勝手に撒くわけにいかないし、
墓に入れたくても墓も無ければ跡継ぎもいない。そもそも葬儀費は何故高いのか?
戒名とは何なのか?坊主に渡すお布施とは何なのか?NHK番組の「無縁社会」で
引き取り手の無い死者が急激に増えていく世相を映していた。現実に遺骨を自宅に
置いたまま困っている人が多いという。ともかくも世の中は生きても死んでからも
地位と名誉と金次第だ。戦国の武将・徳川家康は最後に天下を取ったために死後は
日光東照宮久能山の贅を尽くした寺院に祀られているが、天下統一を成し遂げた
織田信長豊臣秀吉は遺骨も墓所も無い。死ねば公平に仏になるのも方便に過ぎない。
家の先祖は浄土真宗派だが昔は本願寺法主が旅行して入った風呂のお湯を門徒
戴いて飲むと万病に効くと信じられた。宗教とはそういうもので常識を遥か超えた
観念が人心を捉える。人の命は平等のはずで今回の災害の被害者にはきちんとした
慰霊所を建てるべきと思う。大震災は「生と死」に対し、つくづく考えさせられる。