隠居の独り言(940))

卑賤の身から出世を遂げ国の最高の権力と地位を得た人物は日本史の中で
豊臣秀吉は抜きんでていた。その処世術の達人は戦国期であったからこそ
成し得たものだが戦国期も後半になると剣術や弓矢のテクニックだけでは
乗り切れる世ではなくなっていた。戦術が複雑化し合戦そのものを支える
専門化集団が必要でありそれを使いこなせる者がペナントレースを制した。
その専門職を体験した若き日の秀吉の血の滲む苦労が実を結んだといえる。
秀吉のドキュメントを研究した人が調べたところによると秀吉の幼少期に
体験した職種はなんと40種類以上を数えたという。農業、鍛冶、物売り、
炭焼き、材木屋、紙漉き、酒作り、薬屋、糸屋、大工、桶屋、きりがない・
そしてその経験を実戦に生かした。それを如実にしたのは信長の美濃攻めで
墨俣一夜城では大工、樵、筏師、馬方、野武士等のプロジェクトチームで
実行した彼の破天荒な戦法は信長の信頼を得て出世の道をひたすらに走る。
草履取りから槍持ち、幕下、侍大将、城持ちの大名と駆け上がった秀吉は
運だけでなく苦労の積み重ねと類まれな戦略で勝ち得た関白の位であった。
想像を遥か超す苦労人・秀吉はドラマに描かれた間抜けた呆け者ではない。
晩年の秀吉は相当にひどい人物になったがそれは後年のこと・・ドラマは
江(上野樹里)のもとに惚気ばかりが綴られた初(水川あさみ)の手紙が届く・・
江はあきれるが今の懸案は何よりも茶々(宮沢りえ)のことが気懸りだった。
かたや秀吉(岸谷五朗)は茶々から完全に拒絶されたと思い落ち込んでいた。
思いが届かぬ茶々の近くにいるのは辛いと京都に建てた豪華絢爛の屋敷の
聚楽第に住まいを移す時がくる。秀吉が京に移ったのを江は単純に喜ぶが
茶々の思いは江とは裏腹に秀吉のひたすらな一心に恋心へと変えていく・・