隠居の独り言(942)

近所に素敵な老夫婦の家がある。いつも二人の会話に笑い声が聞こえてくる。
夫はいつも外であった事柄を全て妻に語る習慣であり、妻もまた生活の中の
出来事を隠さず話す。人間は失敗するのが当たり前の生き物だが、失敗談を
聞き話して笑い流せる二人は大人であり夫婦円満は小さな思い遣りの結果だ。
失敗を話して怒られたり、ばかにされたり、意見するのは大人げない事だが
仲の良くない夫婦の大半はそうしたつまらぬ原因で言い争うのが普通だろう。
失敗は人間性そのもので人生の失敗のゼロはありえない。失敗の積み重ねは
反省の材料にもなり互いを許しあえる事は人間関係の信頼の基本そのものだ。
でも市井の夫婦の失敗は笑って済ませるが政治の失敗は許されるものでない。
国会の内閣不信任案提出は互いの不信感の表れは仕方ないが、震災に関して
管内閣の不手際はひどかった。場当たりの会議、思いつきの発言、福島原発
海水注入をめぐる物語は喜劇とホラーの風味がたっぷり入ったドタバタ劇だ。
総理も人間だから失敗はあっても素早く方向転換をしなければならないのに
自分は正しいと言い張る。原子力発電は国家の方針だったのに都合が悪いと
東電に責任を押し付けて民間電力会社を潰そうとしている意図はなんだろう。
原発事故は東電がわざわざ引き起こしたものでない。国と東電が定められた
安全な設備を施していたが想定外の津波で破壊されたのは紛れもない事実だ。
でも今になって誰も地震津波を恨むわけにいかないし東電への怒りの言葉も
少しも役に立たない。本来なら東電叩きよりむしろ大きなリスクを背負って
現場で復旧に従事している人達に応援の気持ちを持つことが必要ではないか。
管首相はじめ国民が「東電ガンバレ」の掛け声を掛けるのが筋というものだ。
原発是非はともかく改めて人間は失敗を繰り返しながら進化した生物と思う。
当然に賠償免責は避けられないが今や国民ぐるみで原発の廃止と東電潰しに
躍起になる感情論だけでは将来の日本のエネルギーを語れない。