隠居の独り言(949)

1941年12月8日に日本はアメリカを始め連合軍に宣戦布告し真珠湾を攻撃したが
当初の作戦予定では電撃作戦で1年ほどで東南アジアの米英蘭仏の植民地を席捲し
当時不可侵条約を結んでいたソ連に仲介を頼んで講和に持ちこむ甘い戦略だった。
でも戦う相手が大き過ぎた。当時のアメリカのGNPは日本の15倍、車の生産は
800倍、おまけに鉄の原料の9割、石油の8割をアメリカからの輸入に頼っていた。
ただ当時の日米の戦力比は1対2だったので軍部の視野狭窄の甘い見通しだった。
明治の日清、日露の戦争も数倍の敵に勝てたのは古来の天運が味方したと考えた。
理性があればアメリカとは別の外交、付き合い方があったのにマスコミもこぞって
国民を煽り立て偏った正当性のみで戦争に突入し日本は奈落の底まで堕ちてしまう。
前置きが長くなったが戦国期に関東を席捲していた北条は情報が少なかったといえ
豊臣方の財力や軍事力を侮り、以前に宿敵の武田氏や上杉氏の攻撃を退けた戦績を
過信して俄か大名的な秀吉(岸谷五朗)に服従するメンツが許さなかったのだろう。
しかし関東は地方の一部であり圧倒的な勢力の秀吉に対抗するには敵うべくもなく
後年の日米戦争の前夜にも似ていた。戦略的な北条の過信と誤算で秀吉に滅ぼされ
関東平野は徳川家に与えられ家康は江戸に城を築き後年に幕府を開くようになるが
これは先の話・・北条滅亡はやがて東北地方の大名・豪族も秀吉に従うようになり
日本史の一世紀以上に亘った戦国時代も遂に秀吉によって終息を迎えることになる。
大河ドラマ「江」は秀吉の妹・旭姫が病に倒れ見舞いに駆けつけた江(上野樹里)は
豊臣家の人質となった徳川家康(北大路欣也)の子・竹千代(向井理)と初めて出会う。
竹千代は全てに冷めた人物だが、秀吉は母・大政所の手で竹千代を元服させ自らの
秀の一字を与え「秀忠」と名乗らせる。