隠居の独り言(959)

会う人、会う人、あいさつは決まっている。「お暑うございます」気温のことは
言っても詮無いが言わないより言ったほうが暑さから多少は発散する気がする。
暑さでは定評のある京都の人は「暑おすなぁ」とやり過ごして騒がないという。
日本人の言葉は最初から本題に入るより時候などの挨拶から始まるのが特徴で
ワンクッション入れて本題に入る調和のとれた素敵な日本語文化だといつも思う。
初めての手紙も「突然のお便りを差し上げます失礼をお許しくださいますように」
前置きを綴ってから「さて」と書いて実際の用件に入る。心にもない挨拶なんて
どうでもいいと思うが良き伝統の日本人の言葉の感覚は世界にも例が無いだろう。
知人から暑中見舞いの葉書を頂いたが清々しい文面には涼風が込められている。
日本語の曖昧さは美意識の文化だが、反面に政治家の言葉も「検討しておきます」
「諸事情を勘案します」というのは何もしないという意味で最初からダメと言えば
相手のメンツをつぶし、気を悪くするだろうと、ひとまず適当な言葉で逃げている。
でも曖昧さは日本の中だけで国際的には通用しない。だから外国の人に誤解される。
でも今の人が国際的なのか、いきなり本題だけを言う言葉の貧しさが気にかかる。
たかが言葉というけれど、最近の人の多くが自分の意思をきちんと伝えるための
日本語の豊さが消えている。若い者の会話を聞いても「ヤベー」「チョー」などと
略語しか使わないのは話のラリーが途絶えるからで、もう3個や5個のツナギを
知っていたら状況も、大きく言えば人生も変わってくる。最近の言語の貧弱さの
一番の原因は敬語に対する感覚だと思う。日本語の美しさは敬語の使いかただが
今では日常的に完全に正しい敬語を使っている人は暁天の星のようで殆どいない。
敬語は元々学校で覚えるものでなく家庭の会話の中で自然に覚えていくものだが
目上を尊敬し目下を慈しみ家族構成が噛み合っているからこそ身に付くもので
今では核家族少子化で敬語の温床も無くなっている。これからの国際化の中で
美しい日本語はますます廃れていくだろう。実に悲しい!