隠居の独り言(980)

歴史を学ぶうえで1600という数字はまことに覚えやすい。1600年に起きた関ヶ原
戦国期最後の信長(豊川悦司)秀吉(岸谷五朗)と続いて最後に家康(北大路欣也)が
名実ともに天下を手中に治めて日本史を大きく変えた岐路の年であった。関ヶ原前の
家康の裏面工作は緻密なもので表面的には律儀に豊臣家に仕え律儀であればあるほど
世間は好感を持った。あれほどの実力者が豊臣に臣従している、秀吉の正妻おねまで
家康を尊敬し、おねの影響下にある秀吉子飼いの荒武者達がこぞって東軍に参加した。
それに家康の関東240万石の巨大な身上は江州19万石の三成(荻原聖人)の信用とは
明確な大差が明らかで大企業と中小企業の格差は勝敗の行方は始めから決まっていた。
戦いとはバクチのようなもので恩賞の約束手形の信用度によって動くのも心理だろう。
そのほかに淀君宮沢りえ)と、おね(大竹しのぶ)との女の葛藤や嫉妬もあったが
もし、おねが子飼いの武将に豊臣の敵である徳川と戦うよう命じたなら勝敗は違ったし
秀頼が形だけでも最前線に出陣したなら豊臣恩顧の武将達は家康の配下になりえない。
戦争とは直接のつば競り合いより戦略に勝り情報力の優位さで決する場合が常識的で
関ヶ原の合戦古今東西の戦争史の例外でなかった。三成の西軍は家康の東軍よりも
大名も兵力も多く戦場の地形上の布陣も東軍を囲むように戦術も西軍が優れていたが
実際に戦ったのは石田、大谷、宇喜多の三軍だけで其の他の西軍は戦場にきて、なお
疑心を持ち戦わずして負けてしまった。東西武将たちは忠義、信義、欲望、打算、疑心、
不信、嫉妬などに或いは動き或いは苛まれて、どれほど悩み苦しんだか思いやられる。
大河ドラマ「江」は、戦いで男たちが出陣し静かになった江戸城で、江(上野樹里)は
秀忠(向井理)の無事の帰還をひたすら願っていた。そのころ三成の挙兵を知った家康は
上杉攻めを中止して小山から引き返す。家康とは別に中山道を進むことになった秀忠は
家康に呼応せず上田城にこもった真田幸村(浜田学)が気になっていた。功を挙げ家康を
見返したい秀忠は上田城攻めを指示するが失敗に終わり肝心の関ヶ原には間に合わない。
秀忠の器量が思いやられる。