隠居の独り言(982)

東京に来て初めて観た映画は何だったかを覚えていない。戦後の頃の楽しみは
映画を観るのが一番だった。小僧時代はお金がないからもちろん封切の映画は
滅多に行けないが当時は安い映画館があちこちにあり入場料もピンキリだった。
映画館が多いという事は競争も激しくデスカウントセールの二本立て三本立てが
常識で、なかには一日を映画館の中で籠り切りの人も大勢いる。三流の映画館は
映画の合間に漫才コントやストリップショウなどを興行して客寄せをしていた。
そして普通の上映時間が終わった後の夜の8時ころからナイトショーと称して
コーヒー1杯位の安い料金で深夜に古い映画を見せていた。チャンバラ、任侠物や
ピンク映画が主流だが、若い職人には唯一の楽しみで昼間の仕事の疲れからか
イビキが聞こえるナイトショウだった。住み込んでいた浅草橋・鳥越界隈には
「鳥越映画」「東京佐竹」「ロマンス座」の三館があって中でも「東京佐竹」は
洋画が多いのでいつも満員だったが狭いのが難だった。切符を買い入り口から
すぐに人の圧力で暗闇に目が慣れると人々の背がぎっしり並び、伸びあがっても
スクリーンの半分も観られず、その合間から実に無理な姿勢で観賞したものだ。
そんな極悪条件でも洋画が良かったなと思い出すのは欧米の文化や生活様式
憧れとスマートさが映し出されていたからだ。中でもフランス映画が大好きで
イヴモンタンやカトリーヌドヌーヴの容姿やシーンは青春の一頁になっている。
やがて映画はテレビの普及で衰退していったが、かつての映画の持つ芸術性や
スペクタクルな雰囲気はもう戻らないだろう。自分にとって古き良き時代とは
人混みのすえた臭いのする館内の片隅でアランドロンに憧れた時かも知れない。
最近に友人から頂いたチャプリンのDVDを観ているが画像は当然に古くても
現代とは違った定見、感動、表現、気力、ユーモア、そして無二の音楽が流れ
ピエロの笑いのようで、やがて深い哀しみを誘う。映画芸術は人類の財産だが
それはもう不世出だろう。今の自分は映画を鑑賞する機会が無くなっているが
ストーリーもSF的なものや過激なアクション場面が多いという。現代は映像の
技術は急速な日進月歩が進むが「仏作って魂入れず」大切なものが失われては
映画に込めた人情味の抜け殻に過ぎない。次世代よ!文化を無くしてはならない!