隠居の独り言(985)

大河ドラマ「江」の先週のストーリーで女中・なつ(朝倉あき)が秀忠(向井理)の
子供を産みしかも男の子で江(上野樹里)はショックで寝込んだシーンがあったが
関ヶ原から江戸城に戻った秀忠は大姥局からそのことを知らされて江に謝罪するが
江は自分が産む子がまた姫だったら離縁してくれと申し出る。秀忠は謝罪の意味で
母子を江戸から離し信州高遠城の保科家の養子にしたが成人後は保科正之と名乗り
三代将軍・家光の補佐役として活躍した。(江や秀忠が亡くなってからの事だが)・
保科正之は後に加増されて会津23万石の大名になり徳川ご家門の松平姓を受けて
その子孫が幕末で薩長と戦い戊辰戦争の象徴となるが、秀忠のたった一度の浮気が
日本史を創ったとは不思議で面白い。偶然の積み重ねが歴史を紡いでいくのだろう。
一方家康は関ヶ原の勝利後に江戸幕府を開き征夷大将軍となるが完全に天下の権を
確立するためには大阪城に坐する豊臣家とその股肱の者たちを潰さねばならない。
僅かに60万石の大名に堕ちてはいたものの短兵急にやれば豊臣恩顧の大名たちが
どう動くか分からないし関ヶ原の直後では天下の情勢は豊臣方に同情をするだろう。
豊臣攻撃の大義名分と実力をはっきりするために家康は15年もの歳月を費やした。
その長い年月も為すところなく待ったのではない。ネコがネズミをいたぶるように
狡知にみちた戦略は大阪城に貯蓄された金銀を浪費させ一方では家臣を徐々に潰し
何かにつけて無理難題を押し付けて豊臣を無力なものにしようとする家康の策謀は
もはや死に物狂いだった。家康は既に60歳を過ぎ老いていく一方で秀頼は成長する。
当時の寿命からして人生の残り時間と競争するように気短な老人と化し豊臣潰しに
生涯の最後を賭けた。かつて秀吉が朝鮮に無理をしたように家康も晩年の執着だった。
大河ドラマでは江が次女・珠を政略結婚で前田家に嫁がせた悲しみから立ち直れない。
一方の大坂城では大野治長(武田真治)が新年の挨拶に来ない家康にいらだっていた。
2月になりようやく現れた家康は近く朝廷より征夷大将軍に任じられると報告するが
秀頼が関白になるまでの「仮の将軍」と弁ずる家康に淀(宮沢りえ)は警戒を強める。