隠居の独り言(995)

昨日はこの秋初めての木枯らしが吹いたが、急速に温度が下がり冬の備えが忙しい。
服装も厚めのものに切り替える寒がり屋はそれでも体が頼りない感じになっている。
これも歳のせいなのか。思えば子供の頃は冬になっても着物一枚に半纏のみだけで
足に靴下も足袋も無く裸足で下駄を履いていた。あの頃は今よりも冬の平均気温が
低かったというのに冬の寒さが今ほどに感じなかったのはやはり若さのせいだろう。
昭和24年春先に兵庫から上京して丁稚小僧の身になったが小僧というのは商店や
町工場に住み込んで仲間と共に親方から商売の規則、接客の仕方、物の作り方など
教えてもらう。住み込みだから衣食住の心配はないが、報酬は月に一度の休日の朝に
親方から小遣いを貰うのが習慣だった。それはともかく上京した日に作業服の一式と
下着を支給されたが困惑したのがパンツで恥ずかしながら履いたことが今までにない。
それまでは越中フンドシだった。越中というのは手拭位の大きさの布の端に付いた紐を
腰に巻き布を後ろから前に回してフンドシ状にするものだが、初めてパンツを履いた
感じはスウスウして何となく落ち着かない。これは男性にしか分からない感覚だろう。
上京して何もかもが初見聞、初体験の田舎っぺはパンツなど下着の一つも珍しかった。
靴下も綿など無くスフという合成繊維で破れやすく布切れの繕いは小僧の役目だった。
ちなみに女性のブラジャー、パンティも戦後の新製品で隣家の婦人下着製造工場では
一日中製造に追われていた。戦後の物不足は製造業の景気には絶好調を迎えていた。
50坪程の作業場の暖房器具は練炭一つだけでしかも朝に火を起こせば夕方に消えた。
小僧は人よりも早く起き炭を焚き練炭に火を点け部屋を暖めた。練炭で沸かした湯を
呑むのは至福の一杯だったが、みんなの朝飯の後片付けの水の冷たさは今も忘れない。
戦前・戦後の変わり目の世間の生活を体験した者にとって現代は夢を見ている気分だ。
思えば世の中は贅沢になったものだ。冬に向かう昨今は文明の有難味を身をもって知る。