隠居の独り言(997)

「条約は破られる為に制定される」スコットランド文筆家ノースの言葉がある。
大阪冬の陣での徳川と豊臣の交わした和平交渉は外堀を豊臣方が埋める条件で
妥協したはずなのに作業が遅いと徳川方は一方的に一万人を超す人数を動員し
短期間で外堀のみか内堀まで埋めてしまった。その行動は計画的な約束違反で
豊臣方は抗議をしたが頼りの浪人達は既に城を去った後で押しがきかなかった。
それは始めから仕組まれた家康の陰謀だが見抜けなかった大阪の隙を突かれた。
もはや大阪城は城と呼べない建物となり徳川が明日にも襲うのは明らかだった。
天下無双の堅固な大阪城を誇り資金力も天下一の豊臣家も城郭は裸同然にされ
浪人も追放されては徳川に抵抗する術も失い滅亡を待つばかりの心境にされた。
家康に騙された!淀(宮沢りえ)の怒りと落胆は気が狂わんばかりだったろう。
この頃、京では放火事件が相次ぎ、これは豊臣方の浪人の仕業だと決めつけた。
これで狡猾な家康にとり豊臣を滅ぼすのは赤子の手を捩じるようなものだった。
大阪再征の口実は秀頼(太賀)に対し浪人全員を追放するか、国替えをするか、
二者選択を迫ったが国替えの勘弁を嘆願したために戦争の名分を与えてしまう。
5月に入り家康は京に勢ぞろいした徳川軍総勢20万に大阪城に総攻撃を命じた。
豊臣方は抵抗する兵力も意欲も既に失っていた。7日に幸村(浜田学)が戦死し
8日には淀・秀頼親子が自刃し大阪城に火を放たれ猛火のもとに豊臣家は滅びた。
今も大阪城内に残る「夏の陣絵巻」の阿鼻叫喚で逃げ惑う大阪方の女子供にまで
徳川方の兵士が暴虐の限りを尽した悲惨のさまは人間の内面に籠る残虐性を見る。
「鳴かぬなら鳴くまで待とう、ほととぎす」家康はこの日まで74年間を待った。
大河ドラマ「江」は、両家の激突をくい止めるため常高院(水川あさみ)は駿府
向かうが家康の心を変えることはできない。一方秀忠(向井理)は江(上野樹里)に
淀への文を書くよう告げるが堰を切った川の流れを誰も止める事は叶わなかった。