隠居の独り言(1002)

「談志が死んだ」立川談志は落語界の風雲児だったが惜しくも世を去った。
生前から俺が死んだら新聞の見出しは、上から読んでも下から読んでも
ダンシガシンダと書くといいよと記者に語ったという。自ら決めた戒名も
「立川雲黒斉家元勝手居士」も書体はもっともらしいが声を出して読むと
噴出してしまう。最期まで洒落て旅立った見事な生き様に拍手を送りたい。
絶品だった「芝浜」を生の声で聴けないのは淋しいが歳末の風物詩だった。
しっかりものの女房のおかげで立ち直った魚屋「魚勝」の話だが酒飲みで
怠け者の魚勝は朝早く女房に起こされて芝浜に出かけたが時刻を間違えて
魚河岸はまだ開いていない。海岸で夜明けを待っていると大金のはいった
財布が落ちていた。これで遊んで暮らせると、つい遊んで寝てしまったが
翌朝に女房からたたき起こされて大金の事を言うと夢の話にされてしまう。
心を入れ替えて商売に励んだ結果、三年目で魚勝はすっかり立ち直った。
晦日の夜、魚勝は女房に向い「昔っから女房と畳は新しい方がいい」と
言いかけ「古い方がいいけどよ」とあわててごまかすくだりが逸品だった。
若い頃はラジオの落語を聞きながら仕事をしたが談志の話しっぷりを想う。
最近での帰宅途中の車で聴いたラジオ「新・話の泉」の楽しみも消えたが
談志の司会で毒蝮三太夫山藤章二松尾貴史などとの対話が面白かった。
言葉のレパートリーが豊富で真面目な話から毒舌まで咄嗟にアレンジして
人を魅了する名人はもう不世出だろう。自分もネタを随分使わせて頂いた。
笑点」の創始者で今なお続く座布団のアイディアは昔の牢屋の牢名主から
ヒントを得たとか・・無形文化財的な昭和の語り手がまたひとり去っていく。
物事をはっきりと本音で話せる咄家は少ない。落語家としてもって瞑すべし。
談志とは面識が無いが彼から喪中の葉書を頂いた気がしてならない。合掌。