隠居の独り言(1003)

年末限定の大河ドラマ司馬遼太郎原作「坂の上の雲」は大河最高の秀作と思うが
規模があまりに大きすぎて1年間を通じて流せないのが残念至極だが仕方がない。
自分は「坂の上の雲」を二回読んだ。最初は高度成長期で仕事に追われていたが
時間を割き貪るように読んだ記憶があり、二回目は一昨年に大河が始まったので
戦史の勉強の心算で読んだが今のように情報も少なかった明治に生きた日本人が
国際情勢を的確に判断して国家の危機を判断していたことの素晴らしさを感じた。
明治のリーダー達は封建時代に虐げられてきた下級武士などの集りであり世襲
政治家ではない。だから明治は意欲と自信が発芽して燃えた時代であったと思う。
明治37年(1904)日露開戦までが前回までのドラマだったが今回は愈々決戦現場で
日本海軍はロシアが極東に配した旅順艦隊を沈めたのち本国のバルチック艦隊
迎え撃つ戦略を立てるが日本軍の旅順口閉塞作戦は失敗し戦線は膠着状態になる。
満州軍総司令官の大山巌米倉斉加年)と総参謀長・児玉源太郎高橋英樹)が
東郷平八郎(渡哲也)率いる連合艦隊の旗艦「三笠」に集結し陸海軍首脳による
協同作戦会議が開かれ海軍は旅順港を陸側から攻撃してほしいと陸軍に要請する。
真之(本木雅弘)は旅順西北の203高地を占領して観測地点を置きロシア艦隊を
砲撃すべきと主張するが陸軍は旅順攻略を重視し乃木希典柄本明)が指揮する
第三軍が総攻撃を開始。主目標は旅順要塞の堅固な部分を突破することだったが
そこはベトンで固められた近代要塞で軍は要塞に傷一つ負わせることができない。
しかも精神論の乃木の指揮で多大な犠牲者を出し続ける。それでも坑道と塹壕
掘り進めて要塞に近づくという愚かともいうべき正攻法で二度目の総攻撃を行う。
一方の遼陽の会戦は好古(阿部寛)の騎兵が敵情捜索を行いクロパトキン率いる
ロシア軍が大軍を集結させていると報告する。満州の地を舞台にした日露戦争
最大の山場だが領土も人口もGNPも大きく差のあるロシアを相手に小国日本が
どこまで立ち向かえられるのか当時の日本人全ての心構えが試される試練だった。