隠居の独り言(1005)

18-19世紀の白人達は地球上のあらゆる所を植民して現地人を人間扱いにせず
牛馬のようにこき使い強権力をふるって利益を貪り支配する土地を広げていた。
ロシアも然りシベリアから満州・朝鮮を食べ最後は日本を呑みこむ算段だった。
日本人の逞しさは武士道の精神であり属国の屈辱より死も恐れない誇りだろう。
旅順の総攻撃もベトンで固められたロシアの要塞を真っ当に正攻法で攻めたて
暴挙ともいえる必死の作戦も兵士の一人も上官の命令に逆らう者はいなかった。
正義の死を美学と捉える武士道の精神は生きていたが、それでも無駄を覚悟で
総攻撃を三回も行ったが多くの戦死者を出し兵を引かせる。乃木(柄本明)は
もはや正面攻撃は無理と判断し別の地点の203高地を全力で落とすと宣言する。
そして敵の猛攻を受けながら突撃して一度は占領した頂上は再び奪取される。
ドラマの中の戦闘シーンは国家と国家との戦い、人と人との命を賭けた戦いの
死に物狂いの場面の息をのむシーンの連続をよく演じて撮ったものと感動する。
万策尽き果てた乃木の苦境を見かねた軍総参謀長の児玉源太郎高橋英樹)は
旅順で乃木の代わりに203高地を陥落させる事を決意し直ちに日本から重砲の
移動や陣地転換など攻撃計画を修正し集中配置された重砲が敵の陣地に向けて
一斉砲撃を開始し遂に203高地を陥落させる。203高地旅順港を一望できる
絶好の高台で陥落後にこの場所からの旅順港への砲撃でロシア艦隊は壊滅する。
それにしても歴史の評価というものを考えさせられる事が多い。旅順攻防戦で
乃木はあまりにも無為無策で6万もの兵が死傷の犠牲になった。その対照的に
児玉の才智と豪放さによって戦争の勝利に導いたのは史実が認めるところだが
しかし後に軍神に祀り上げられたのは児玉でなく乃木のほうだった。乃木は
明治天皇崩御に準じて静子夫人を道連れに自殺したことにより旅順の失敗は
美談と賛辞に変えられ今でも赤坂の乃木神社に祀られ参拝者で賑わっている。
功績と殉死のどちらを讃えるべきなのか?日本の歴史考証の難しさを考える。