隠居の独り言(1010)

数年前までギター仲間と老人ホームの慰問をしていた。自分は弾き語りで歌ったが
入居の老人に最も受けた歌は「戦友」で、中には歌を聴きながら泣き出す人もいた。
♪ここは御国を何百里、離れて遠き満州の赤い夕陽に照らされて友は野末の石の下・
叙情的な詩は得も知れぬ哀愁と命を賭して国を守った誇りの軍歌の最高傑作だろう。
老人たちの子供の頃に口ずさんだ歌々は明治を生きた父母からのメッセージだった。
いうまでもなく日清日露戦争は祖国防衛戦争であった。当時の清(中国)や朝鮮は
国家意識に欠け欧米の侵略になすがままに植民され領土を奪われ人民は富と労働を
搾取された。とくに土地が隣接するロシアは清の北東部の満州を実質的に領土化し
勢いは朝鮮半島に迫っていた。ロシアが西の大西洋側から東の太平洋側まで達する
超広大な国家を作り上げようとしているのは誰の目にも明らかであり恐怖であった。
このまま傍観すれば次は日本列島がロシアの一部になるだろう。それまで日本人は
国内だけが視野だったが外を知って国家を意識して立ち上がったのは必然と言える。
それでも当時の人は敵として命懸けで戦っても終われば互いの健闘を讃えあうのは
ロシアには騎士道があり日本に武士道といった戦争での美学がいつも息づいていた。
激戦の最中にも互いの兵士の屍を弔うため休戦日が設けられ鉄条網越しに兵士達は
酒や食料を交換して労をねぎらったし負傷して捕虜となった敵兵に最高待遇をして
国際法レベルで戦争に向きあった。1905年9月ポーツマス講和条約が調印された。
辛うじて勝った日本はロシアから賠償金を得ることはできなかったが国内の新聞は
「弱腰の講和」と政府を批判し不満をもつ民衆が日比谷焼き打ち事件等を起こした。
日本人の美徳である謙虚さや相手を思いやる人情味はどこへ消えてしまったのか?
マスコミは戦争経過の正しい報道と彼我の国力の差を解説しなかった罪は大きいが
それが日本の驕りとなり昭和の奈落の道に繋がっていったのは今更言うまでもない。
思えば日露戦争はどこか牧歌的風景が残っていた人類最後の戦争であったといえる。
その後の戦争史は第一次世界大戦で飛行機、戦車、毒ガスの殺人マシンが使用され
人間的な感情は無視された殺し合いだったし第二次大戦に至ってはホロコースト
原爆の使用など戦争の概念が兵隊同士の戦いを超えて民族を容赦なく抹殺するまで
エスカレートした。日露戦争の半世紀後にロシアが行った復讐劇は満州の日本人の
暴虐を極めた大虐殺や60万人のシベリアへの拉致労働などそれは人の道ではない。
人はそこまで変われるものだろうか?数々の条約を破った破廉恥がロシア人なのか?
思うところ今までの大河で最大スケールの傑作であり稀有の重厚な作品と感じたが
TVの視聴率は最悪だそうで家政婦のドラマや水戸黄門の方が人気度が高いとかで
たかがTVといえども日本人の国家観や歴史観が大きく様変わりしたのに杞憂する。
日露戦争の結果が招いた驕りと日本の自堕落の道は平成になっても後を引いている。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」俳人中村草田男が明治を懐かしんで詠ったが、
草葉の陰で嘆いている。あえて年寄りの繰り言を言わせていただく。昔は良かった!!