隠居の独り言(1035)

先だってギター同好会の会場で或る夫婦のDuoの演奏を聴いた。ご主人は先生、
奥さまは生徒の間柄だが、息の合った演奏に観衆の拍手喝采は鳴りやまなかった。
見ていて何とも羨ましい二人の姿だが同じ趣味の価値観を互いに認め合う間柄は
普段の生活にも反映され、互いに距離の無い心の通じ合った理想の夫婦像だろう。
仲の良い夫婦像を披露された風景にヤッカミ半分の人の拍手も多かったのでは・・
でも世の夫婦はままならないのが普通で理想と現実の一致は到底望めそうにない。
自分も人生の大半を連れ合いと暮らしているが長持ち方法を確認できた事がある。
それはお互いを期待しないこと。この歳にもなればお互いの生きる土台が自然に
出来てくるから、それを尊重して邪魔しないようにマイペースで暮らすのがいい。
あまり相手を期待しすぎると裏切られたの話が違うのと相手の非を捉えたくなる。
始めから期待しないと、たまの優しさや思いがけない好意に嬉しく感じるものだ。
人によっては夫婦とは、一心同体であるとか、昔から赤い糸で結ばれているとか、
それはそれの幸福感を味わうのも結構だが、縁とは巡り巡った絡み合いの接点で
たまたまぶつかった他人同士が一緒に暮らしている。二人の性格も違えば育った
環境も違うのは当然で互いが個である以上夫婦といえ相手をしばってはならない。
結婚式で神父から「健やかな時も病める時も、二人の命ある限り・」と誓わされ
愛は永遠だの、この人しかいないと思うのは窮屈そのものだ。互いがのびのびと
その人らしく生き、重なり合う部分だけ大切にするのが人間らしい夫婦像と思う。
必要以上に相手の心に入り込まないこと、いつも爽やかに、それぞれが干渉せず
静かに環境を保ち暮らしたいと願っている。長年の夫婦の思い入れもそれぞれで
同じ屋根の下でも夫婦が同床異夢の考えでも決して水くさい関係だとは思わない。
Duoの演奏のできる夫婦も幸せだし、価値観の違いを認め合う暮らしも幸せだ。
「たのしみは妻子(めこ)むつまじく うちつどい 頭ならべて 物を食う時」
詩人・橘曙覧の「独楽吟」だが、夫婦の「縁は異なもの味なもの」と改めて思う。