隠居の独り言(1038)

いつの頃からかラテン音楽が好きになっていた。子供のころ叔父が持っていた手回しの
蓄音器で「南京豆売り」や「マリネラ」などのレコードが擦り切れるほど聴いた記憶が
甦るが戦争中とあって外部に聞こえないように小さな音量で耳を澄まして聴いていた。
根っからの軍国少年は軍歌は年中歌っていたがどこか違う異国情緒あふれるラテンに
興味と憧れがあったのかも知れない。叔父の蓄音器はやがて壊れて使えなくなったが
レコードは健在で当時の木製の六角形のレコード入れには何枚かのレコードが残った。
叔父にとっては戦前から歌われていた洋楽やラテン音楽は青春の一頁だったのだろう。
戦争が終って当然にアメリカを始め全世界から音楽が怒涛のように日本にやってきた。
心の荒んだ戦後の人にとり新鮮でスマートな音楽はどれほど癒されたか測り知れない。
ジャズやブルース始めナットキングコールやビングクロスビーの甘い歌がSP番組で
ラジオから流れ日本人の心を掴んで憧れのアメリカナイズは戦後の風物詩になったが
中にはアフロキューバンやタンゴなどのラテン音楽も疾風のように来て人々が沸いた。
見砂直照東京キューバンボーイズや早川真平とオルケスタピカのラテンやタンゴが
戦後間もなくスタートさせたのも日本人の心の変化と器用さが音楽界にも反映させた。
ザビアクガートやトリオロスパンチョスなどが来日してラテンブームに火が付いたが
あの頃の熱かった反動か現在のラテンの廃れようは何と説明したらよいか分からない。
日本人の心移りは早くラテンも違った方向に変化する。美空ひばりの「お祭りマンボ」
野坂昭如の「玩具のチャチャチャ」はまだいいとしても西田佐知子のコーヒールンバ
「昔アラブの偉い坊さんが・」の歌詞に至っては本来の意味からはまるで違っている。
氷川きよしの「情熱のマリアッチ」の姿恰好はメキシコ風でも日本の演歌そのものだ。
ラテンに限らず戦後に栄えたジャズ、ロカビリー、ブルース、タンゴも同様でこれは
世界的な音楽の流れなのだろうか?でも自分はあくまでラテンが好きで今は少数派の
ジャンルになったが聴いても演奏しても奥の深いことを知る。音楽はその土地土地に
根ざして生まれるが中南米独自の民族性豊かな音楽に陶酔する。ラテン音楽の歴史は
それほど長くはないがその広大さは北のカリブ海から南アメリカマゼラン海峡まで
二万キロ以上に亘る南北アメリカ大陸の国々や地域にその土地を象徴する音楽があり
それは想像の他としか言いようがない。幸いにして今の自分はとても恵まれた出会いで
音楽の仲間と知り、草野球から一挙にメジャーリーグに昇格したような気分は格別だ。
本場のラテントリオの幸福感にいつも浸っている。それしてもラテンは素晴らしい!