隠居の独り言(1039)

年度末の三月も終わりに近づいている。孫たちは春休み中なので家中が騒々しい。
親は普段の生活と違って子供達の様々な世話に気ぜわしく春休みどころではない。
春休みは反面に大人にとって忙しいシーズンだ。三月はまた別れの季節でもある。
級友や先生たちとの別れや中には親元から巣立って家から出立の子もいるだろう。
そして今までの年月に感謝しよう。ありがとうは「有難し」から変化したもので
難しく滅多にない事が、ありがとうの言葉になった。関西言葉の「おーきに」も
大きにありがとうの省略語だが、どんなにありがとうでも決して及ぶことはない。
1948年3月吉日、某県某市、某中学校で某少年が卒業式に出席した。某少年は
60人の卒業生総代として講壇上で答辞の言葉を述べていた。文章は忘却したが
途中で涙が出て言葉が中断した事だけを覚えている。涙は別れのものだったのか、
青雲の志だったのか、涙も既に枯れてしまっている。在学生が「蛍の光」を歌い
卒業生が「仰げば尊し」を歌った記憶も朧なのも昔の一節が遠くなったからだろう。
某少年の学校生活は卒業式で終わり、その後上京して大人への階段を登り始めた。
階段の登りは限りなく現在も続いているが「坂の上の雲」が遥か遠く感ずるのは
未だ心が未完成だからだ。あれからウン十年、小僧を経験し自立して仕事を始め
所帯を持ち子供を育てたが今現在も発展途上であれば人生の卒業式はまだだろう。
ブログを綴っているのも人生の中でお世話になった人への答辞と位置付けている。
この季節は「一月往ぬる、二月逃げる、三月去る」という。といって今でなくも
人生は、あっという間に往って逃げて去っていく。まさに「時は金なり」であり
時の勿体なさ、生きる喜びを今ほどに強く感じる時期は無かった気がしている。
裏を返せば老いの証しともいえるが物欲は薄れてきても生きる欲の消えないのは
未だ命の残量があると思うので仕事に励み家族を養い音楽に夢中になっている。
そして来年も再来年も三月になったらきっと同じ文章で綴れることを願っている。