徳乃山稲荷

harimaya2012-05-16

我が家の町会に徳乃山稲荷がありお祭りが催された。
江戸の昔、徳川の幕臣徳山五兵衛は本所築地奉行で
本所開発に力を注いだ功績により、この地を賜った。
池波正太郎の著作「おとこの秘図」のモデルとして
五兵衛の活躍の物語は面白く読んだ方も多いだろう。
江戸中期の頃は人口が100万人とも云われているが
100万のうち武士と庶民が半分ずつの50万だった。
でも居住地の3分の2が武家地で、6分の1が寺社、
残る6分の1に人口の半数にあたる庶民が詰め込まれたことになる。家屋の典型的な
9尺2間の裏長屋は1世帯3坪、4畳半1間押し入れ無しの狭小住宅の江戸の長屋だ。
今も深川資料館には当時の長屋が再現されているが、ご覧になるのも昔の参考になる。
話しはそれたが今の我が家の近くは下町でも奉行跡はじめ武家屋敷が多かったらしく
名残として広い公園や公共の建物が点在するが、この辺りに住んで良かったと感じる。