隠居の独り言(1056)

待ちに待った東京スカイツリーが遂にオープンした。場所は東京下町墨田区
押上と業平の間にあったセメント会社集荷場の跡だが数年前まではセメントを
積んだトラックが埃をたてながら行き来していた何の変哲もない下町の場末で
辺りは古びた木造住宅の密集地に傍を流れる北十間川は高度成長期のころには
川が濁り悪臭が漂う捨てられた場所だった。江戸期に遡れば近くには水戸藩
今の隅田公園、高級料亭や遊郭があって名残は北十間川に小梅橋や枕橋などの
悩ましくも粋な橋の名前は今も残る。戦前まで押上は京成電車の始発駅であり
繁華街があり映画館も数か所あって街は栄えたらしいが戦後は寂れてしまった。
古い地図によれば北十間川を境に北側は向島で南側は本所ということになるが
東京スカイツリーの場所は向島と本所の中間地点にあり江戸時代は下総の国で
郷名を牛島と称し牛馬の放牧地だったらしい。牛島一帯は洲とも島ともつかぬ
湿地帯で雨季には河川の水があふれ大雨が降るとしばしば大洪水に見舞われた。
それに地盤が弱いため地震や台風の時など東京でも最も被害の多かった一帯で
東京大空襲の時も一面の焼け野原になり、昭和24年に自分が上京した時でも
未だにバラック住宅がぱらぱらしかなく一面の原っぱは子供の絶好の遊び場で
草野球や凧上げに夢中だったし、北十間川でハゼやボラを釣っている人もいた。
そんな昔の水郷地帯・本所・深川は今では想像外で高層マンションが立ち並び
道路は広く整備され十間川、堅川、横川の川底を何本もの地下鉄が走っている。
それでも戦後復興も東京オリンピックを機に都内では渋谷、目黒、世田谷など
南西部が発展を遂げて下町は遅れを取ったが今回の東京スカイツリーの完成は
南西部を凌駕するほどに街は人気を高めている。向島、本所近辺だけではない。
周辺の浅草、上野、錦糸町、両国などの場所もスカイツリー建設を待ちきれず
観光客や街歩きの人が数年前から増えはじめ周辺の街の状況は賑わいを増した。
東京スカイツリー城下町の墨田区民として将来の発展が楽しみだ。