隠居の独り言(1066)

世の中、首をかしげる事件に事欠かない。先日の大阪ミナミで起きた通り魔事件は
偶然そこを通りかかっただけの男女二人が理不尽に殺された。刑務所を出てすぐの
殺人犯は「自殺を考え包丁を買い死にきれず、人を殺せば死刑になると思った」と
供述しているらしいが数年前の秋葉原事件や池袋の通り魔事件と共通しているのは
赤の他人を道連れに自分も死にたいという訳の分からない自殺願望は理解できない。
でも犯人たちよ!甘ったれるじゃない!自分の命だから死のうが生きようが自分の
勝手だが自分の命は自分一人で処分すべし!恥を知らない社会の屑以下の人間だ!
大人になった以上理由の如何に拘らず生きるも死ぬも自己責任で事件は畜生にも劣り
残虐性極まりない。いきなり命に巻き添えにされた被害者はたまったものじゃない。
かつて自殺するにも作法があって日光華厳の滝、熱海の錦ヶ浦、青木が原樹海など
三者に被害や迷惑を及ばない場所を選び、恥を晒したくない尊厳と美意識があった。
いつの間に日本人はこんなに精神が荒んでしまったのか?そもそも通り魔の犯人らは
本気で死ぬ気があったのか?本気で死ぬ気があったなら誰にも打ち明けずにひっそり
死を選んでいたはずだ。他人を道連れにするには、近松門左衛門曽根崎心中のように
互いの死の納得が必要だ。何の落ち度もなく瞬時に命を奪われた人は実に気の毒としか
言いようがないが、繰り返される通り魔事件を予防する社会的手だては無かったのか?
生きていれば誰もが一度や二度、死にたくなる時がある。自分の過去も恋が破れたり
事業に失敗したときなど先行きが闇になって死にたい時も多々だったが留まったのは
親への申し訳であり社会への責任だった。ミナミの場合は犯人が刑務所から出てきて
行き場を失ったのが原因らしいが、それでも人を殺めるのは許せない。犯行に及んだ
本人は本望なのかも知れないが結果は本人だけのものではない。被害者はむろんのこと、
家族を含めて周りの人たちへの無念と迷惑・・・そして犯人の家族も、どれほど肩身の
狭い思いをしてこれから暮らさなければならないか。通り魔にしても、オウムにしても、
自分勝手な思いで人の命を無造作に殺める観念はどこからきたか?みんなで考えよう。