隠居の独り言(1077)

歴史にイフは無いが源義朝玉木宏)が平治の乱を起こさなければ公家政治が
続いただろうし清盛(松山ケンイチ)率いる平家の時代も無く後の鎌倉時代
戦国時代も考えられず日本史も大きく変わっていただろう。乱ののちの処置も
清盛は歯向かった敵の源氏を完全根絶やしにすればよかったのに女への甘さと
優柔不断な性格は正妻の時子(深田恭子)の助言で頼朝(中川大志)を助命し
義朝の側室・常盤御前武井咲)と3人の子供を助けたがために後年になって
平家が滅びる大きな要因となっていく。平家の優しさと源氏の厳しさの対比だ。
歴史的に平家政権が長く続いていればアジアと交易で日本は成長しただろうが
源氏や北条に歴史を託したために日本人の性格までチマチマした小物になった。
歴史とは偶然と偶然とが重なり紡ぎあい複雑な絵柄の織物のようなものだろう。
平治の乱は日本を大きく様変わりをした。それまでは公卿の犬に過ぎなかった
武士階級の清盛が公卿の中納言信頼の首を刎ねたのは武士のクーデターだった。
清盛が信頼の首桶を殿上の公卿たちに突き付けても清盛と眼を合わせる公卿は
誰一人いなかった。その後700年以上の長きに亘る武家政治が始まった瞬間だ。
平安時代以前の政治形態は天皇の下に公卿があって公卿は地方を治めるという
一元化の分かり易い制度だったが武家政権は武士が政治を司り形式的に官位など
位だけを勅命にするという二元政治は日本独特の政治で世界でも稀な長きに亘る
皇室を敬う人心の存在は源平の時代から固められたといって過言でないだろう。
大河ドラマ平治の乱後に清盛はついに公卿の座に登った。ドラマの山場だろう。
今までの武士が誰もなし得なかった偉業であった。平家一門の殆どの者が出世し
朝廷内の中枢になっていく。そんな折、後白河上皇松田翔太)の姉・上西門院
愛原実花)の女房で仕える清盛の義妹・滋子(成海璃子)は時忠(森田剛)から
二条天皇冨浦智嗣)の許へ入内しないかと持ちかけられるがきっぱり拒否する。
ところが二条天皇とそりが合わない後白河上皇はある日、宮中で滋子を一目見て
美しさと気強さに心惹かれる。その後に後白河の子を懐妊した滋子に平家一門は
大騒ぎになってしまう。滋子と後白河上皇の婚礼がその後の平家の興隆と滅亡に
大きく関わるとは今は知る由も無い。