隠居の独り言(1082)

来週はすっかり日本の風物詩になったお盆のシーズンで会社や仕事関連の多くが
長期の休日に入り街の様子も静かな雰囲気に変わってしまう。そもそもお盆とは
その昔、釈迦の弟子の母が死後に餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを知り僧たちに
7月15日に飲食を施し供養せよとの教えで母は助かった伝えから始まったという。
この言い伝えから15日に墓に野菜や食物を供え祖先の霊を供養するようになった。
釈迦は書物を残さなかったが2500年以前の口上も日本の仏教伝来は6世紀だから
この間1000年以上も経っているので言い伝えは正しいのか?小難しい理屈はおき
古くから伝わる日本仏教の考えは先祖の霊が盆の時に現世に里帰りされる謂れだが
一年に一度のご先祖に感謝するお墓参りの習慣は日本ならではの美しい法事と思う。
盆入り13日夕方に迎え火を焚き先祖の霊を精霊棚にお迎えして住職がお経をあげ
盆明け16日に送り火を焚いてお帰り頂くのが基本だが、これも宗派によって違い
たとえば浄土真宗はこれら一切を行わない。都会暮らしが多くなった時代の昨今は
行事も廃れ気味で、かく言う自分も最近は先祖に対しお盆らしきこともしていない。
世間ではお盆の時期に住職を自宅に招いてお経をあげていただくお宅が多いようで
檀家を沢山抱えるお寺の住職は汗だくで一日に何軒も掛け持ちでお経をあげるので
旦那寺は最も稼ぎ時だ。この世あの世は金次第、お布施の額でお経の長さが変わる。
そもそもお経とは釈迦が弟子に人生哲学を語り弟子がその言葉を経典にしたもので
お経をあげても亡くなった方は浮かばれない。もともとインド語で書かれたものを
よく似た音の漢字のお経を住職が読んでも聞いている庶民には意味が分からないし
まして死者が理解できるはずなく大枚はたいて長いお経をあげて喜ぶのは住職だけで
ついでに言えば戒名だって文字の数によって金額が違うのはどうしてなのか解せない。
千の風の詩にあるようにお墓に先祖は眠っているだろうか?心から亡くなった父母や
先祖を愛しているなら常日頃から思いをかけ、ご挨拶をしたほうがどんな長いお経を
あげてもらうより喜ばれるのではないかと信じている。それとも自分は罰当りかな?