隠居の独り言(1097)

自分はラテン音楽に夢中だが演奏している歌の殆どが男と女の絡む恋の歌ばかりで
いい年をして色爺と揶揄されているかもしれない。無論いくら若ぶっても現実的な
恋の体験は今更不可能だがラテン特有の痺れる旋律と歌詞の内容を知れば知るほど
年齢を忘れさせるときめきに酔いしれる。恋に関する事柄は歳を重ねるほどに実の
姿が見えてくるものと思うが、なかには相当に勘違いしている人がいるのも事実だ。
話題の色爺といえばお笑いの加藤茶(68)の年の差結婚の相手は年齢差が45歳という。
俳優の寺田農(68)も35歳年下の相手、堺正章(65)も22歳年下の女性というから驚く。
おめでたいことなのでケチを付ける気は毛頭ないが、これは人気取りのためなのか?
男性の今は元気でも年齢からして先が短く自分の老後を看取ってもらうためなのか?
時の経過は好むと好まざるに拘らず夫婦の価値観の違いに表れて二人は噛み合わない。
まして体力差は年齢が開けば開くほど顕著になり夫婦共に満足の生活は不可能になる。
やっかみ半分だが将来を見据えてか?考えれば男女の間柄は三つに分けられると思う。
それは「愛」「恋」「色」の三つ。中でも「愛」が高尚なものと感じるが明治になって
神仏の信仰を愛と訳したからで男女のみならず、国を愛する、芸を愛する、といった
広い定義を指すことが多い。「恋」は純粋的なイメージだが青春時代の麻疹みたいで
動物のサカリのように盲目的に突進した生殖衝動の本能状態だろう。恋は思いを遂げ
生殖活動が終われば急速に冷めていく。しかも男性にとっては単なる衝動であっても
女性はそれを愛情と勘違いして誤解する。だから永遠の恋や愛なんて絶対ありえない。
恋は力づくや勢いで獲得出来る場合もあるが反面壊れ易く男女に絡む事件も発生する。
「色」は好色、色欲、色事、色気、色町など言葉からのイメージはあまり良くないが
実は最も上級で奥が広く大人の蓄積の体験と知恵と理性がなければ色は成り立たない。
色には相手への束縛願望も恋の生殖達成も考えないし、色にマニュアルは存在しない。
互いに充実した時間を過ごすには目の前の相手を敬い心のゆとりがなくてはならない。
会えない時は電源オフにして自分の時間を優先し会える願いはポケットに閉っておく。
色というは情熱的なフェロモンより詫びさびの風趣の内面的な魅力が不可欠だからだ。
歳を重ねて色のない人生はモノクロの世界だ。相手に対し尊敬、憧れ、心の想いを持つ。
若い日は接写だった視野も歳を経て広くなり今の広角レンズで心は豊かになっていく。
まさにラテンの恋歌は色をいっぱい使って人生を表現する。音楽の魅力は果てしない。