隠居の独り言(1108)

11月10日は「いいトイレ」の語呂合わせで「トイレの日」と協会が制定したらしい。
今日はトイレの話をする。少しだけ我慢していただきたい。生きるとは不便なもので
一日に数回は排泄をしなければならない。大は一回としても小は何度も行くことになる。
悔しいがトイレの無いところでは人は生きていけない。昔の日本のトイレは当然ながら
和式だったが子供の頃は水洗便所なんて殆ど無くみんな汲み取り式だった。大のほうで
しゃがんでいる時など真下には薄暗い肥ツボがあり、たまらなく臭いし汚いし落ちたら
お終いで、地獄のイメージだった。でも子供心には世の中きれいごとばかりじゃない!
それは無言のうちに教えられた生きる哲学の空間だったに違いない。一方で糞尿は畑の
肥料で農家の人が汲み取りにきて、お米や野菜などを置いてくれた有難い排泄物だった。
畑のあちこちに肥溜めがあり時をかけ発酵させ田畑に撒き食のリサイクルをしていた。
そのせいか体内に回虫が発生したが反面に花粉症や肥満体は殆どなく免疫力は今より
遥かに高かった。しゃがみ式の日本のトイレは相撲や柔道でみるように昔の日本人の
足腰の良さの原点であり小さい頃からの自然的な習慣で鍛え上げられた賜物であった。
調べるとアジア、アフリカ、中近東はしゃがみ式、欧米や南米アメリカは腰かけ式で
モンゴルの大相撲、韓国の柔道の強さも関連していると思いたくなる。戦争が終って
アメリカの民主主義が入って言論の自由や平等と言われても漠然と分からなかったが
具体的に実感したのは洋式のトイレで男女の平等も一つの便器に統一された。かつて
地獄のイメージの便所は水洗式となり薄暗さも汚さも消えて他の空間と平等に扱える
部屋になった。最近の家屋では、トイレも風呂場も洗面所も明るい清潔な場所になり
昔のイメージを想像することも不可能だ。トイレに関する歴史は各々時代を顧みるが
西洋の合理主義を最も象徴しているのが腰掛便器だ。今ではウオッシュレットも付いて
お尻を清潔に水洗いしてくれるのでいうことない。合理主義はどこまで発展するのか?
今朝も洋式トイレに座りながら考える。