隠居の独り言(1122)

静かな年の瀬、師走というのに街は普段の月と変わらない。昔は忙しかったものだ。
小僧時代勤めていた浅草橋界隈では12月の中頃に街ぐるみで大掃除の日を決めて
町内ごとに一斉に行い、それぞれの商店では店員たちはそれぞれ受け持ちを分担し
家中くまなく掃除をして片づけが終わると使い古した家財などを道路の中央に集め
通りの不用品の山積みの風景は年末の風物詩だった。当時は自動車の通行も少なく
清掃車は地区ごとに数日かけて片付けていた。街の大掃除が終わると仕事の合間に
何軒ものお得意先へ社長のお供でお歳暮を贈る行事と挨拶があった。今のお歳暮は
デパートやスーパーから直送が多いが当時は取引先の感謝を直接伝えるのが作法で
歳暮の品は二次的なもので一年のお世話の言葉と季節感を添える挨拶が重要だった。
近所の米屋も忙しい。米袋と餅を肩に担いで各家に運んでいる。米櫃を一杯にして
どの家も新年を迎えたいのだろう。炭屋も忙しい。当時の暖房具は火鉢が主だから
炭俵とレンタンをリヤカーいっぱい積んで各家に降ろしていた。街は様々な物売りの
威勢のいい掛け声が聞こえ、いやがうえにも師走気分が乗った。誰より忙しいのは
家庭の主婦で年末の大掃除と、それが終わると正月のおせち料理の仕込みと準備で
猫の手も借りたいほどで台所から絶え間なくおせち材料が煮える匂いが漂っていた。
一年が終わり大晦日の混雑の夜行列車で田舎に帰省した頃が懐かしい。夜中じゅう
10時間の立ちんぼうの寝ぼけマナコでも父母は暖かく迎えてくれた日々は忘れない。
小僧時代の帽子屋はこの時期、一年の最繁忙期で問屋からの来年の春夏物の注文と
新学期の学帽の製造で寝る間も惜しく働いた。当時は小学生から大学生まで帽子は
必需品で学校のシンボルであり被ることが学生の証しであった。学生ばかりでなく
大人は中折れ帽や鳥打帽はお洒落の象徴で街ゆく男性の殆どが帽子を着用していた。
昔のセピア色の街の様子の写真を見ると着るものは和服でも殆ど男性は被っている。
上場企業にも数社は帽子会社を連ねる盛況だった。しかし黄金時代は続かなかった。
学生は被らなくなったし大人も髪がたちのお洒落が流行り帽子は忘れられていった。
今はそれに加えて価格の安い中国産などに生産受注が流れて帽子産業は沈没寸前で
希少動物のようだ。静御前の「むかしを今に なすよしもがな」の心境になってくる。
「むかしは良かった」けっして回顧趣味でなく忙しかった師走の風物詩が懐かしい。