隠居の独り言(1125)

♪もういくつ寝るとお正月、内外共に変遷期だった2012年も残り6日で大団円となる。
昭和の大半と平成の24年を生きた晩年の自分だが花も嵐も踏み越えた人生を振り返る。
70年前は小学3年生、骨の髄まで染まった軍国少年だった。少年は軍人の将校に憧れ
陸軍幼年学校→士官学校に入るため猛勉強をした。相当の競争率だと先生に言われた。
東条英機、米内光政、山本五十六を神さまのように崇めた純真無垢の幼心がいじらしい。
60年前は丁稚小僧、朝の7時から夜10時まで働き休日も月一、今なら労働基準違反だが
若かった十代は今でも苦労したと思わない。それより憧れた都会は何もかも目新しく
街には活気があり人の希望が渦巻いていた。小僧はいつか旗揚げして錦を飾りたかった。
50年前は新米の商人、独立したものの資金苦しく折角の受注も疎かになる事多しだが
独り者の気安さと将来の夢のため極度に生活を切り詰め凌いだのがその後に繋がった。
6畳一間のアパートに製品、生地、付属品、機具など山積みで夜は裁断台の上で寝た。
40年前は会社設立、仕事は一応は順風満帆で今に思えば最も良かった時期だったろう。
創出した製品がヒットして従業員、職人も増え毎年ごとに売り上げ上昇が続いていた。
二人の娘にも恵まれ自宅、社屋、その他の不動産も購入して活気盛んな意気に燃えた。
30年前に会社を両国に移転、しかし故郷の父の突然の急死で人生の有限を思い知った。
自分がこの世に生を受けたミッションは何かを考える年齢になったと考えさせられる。
仕事の他に株、不動産、会員権、商品相場にも手を染めたが素人に世間は甘くなかった。
20年前はギターに夢中だった。娘が音大に入った時から始めた楽器だったが難しくて
何度放り出そうと考えたか数えきれない。でも難しいからこそ長続きしたのだと思う。
娘の結婚式でギター弾き語りが出来たのも、楽しいラテンライブの原点がここにあった。
10年前は人生の危機だった。前立腺癌、自律神経失調、ヘルニア等の病魔が次々襲う。
病の峠の坂は険しかったが越えた後は平坦な道が続いて平穏な生活は今に至っている。
孫の6人に恵まれてイクジー役を仰せつかり現在も進行中だが忙しい日々に追われる。
2012年の師走、傘寿近くを生きた人生で今が一番の幸せだ。あらゆる人に感謝したい。
人生の最終コーナーで最も充実した日々を頂いたのは神さまのご褒美だと思っている。
人はモミジの葉が散るのを見て足を止め、世の儚さを感じたりする。足を止めるのは
色鮮やかな真紅とくに雨上がりの一期一会の瞬きに感動し、やがて一期の終わりを知る。
命はいつか尽きる。尽きるまで自由と節度のバランスとれた今を最後まで大切にしたい。
2012年よ。ありがとう!  みなさま良いお年を・・


 psブログはしばらく休みます。