隠居に独り言(1133)

1月30日は父の命日にあたる。亡くなって26年が過ぎたが生存していれば今年は
100歳のHappy Birthdayの歌をプレゼントが出来た。父の晩年は映画音楽が好きで
部屋の壁には30cm四方の多数のLPジャケットが貼られ美術館の絵のようだった。
LPジャケットデザインの印象は素敵なものばかりで今ではコレクターも多いという。
当時はCDが出回った頃だったがLPレコードに針を落とす瞬間と動作が懐かしい。
父は動乱の20世紀を生き赤紙の兵役も果たしたが定年後は穏やかな好々爺を演じて
帰郷した際も兄弟全員を集めて好物のスキヤキパーティの接待役に幸せそうだった。
若い時分は頑固で厳しかったが亡くなって初めて子を思う親心に気付くことが多い。
自分は父の頑固さに抵抗したし理不尽と勘違いした親不孝者だったが人生の筋道を
考えてくれた父に感謝している。父と子の関係を考えれば昔の父は子に渡すものを
多く抱えていた。それは父の厳しさと愛情であり働く意力であり生きる姿であった。
渡すものと渡す時期を考え父は子の成長を暖かく見守るのは継承を託す姿と考える。
中には職業が同じなら紛れもなく先輩であり師匠であった。最近の父と子の関係は
すっかり稀薄なものになり断ち切れてしまっているのは時代といえ由々しき問題だ。
日常の暮らしの中で父は子に生き様を見せる離れ業や尊敬も無くなり生活費を稼ぐ
只の月給取りに成り下がった。時間がゆっくり流れていた時代は経験の浅い若造が
年長者に教えを乞うという形になっていたから父も尊敬されたが今では近寄り難い
名人や達人でなく生き方も哲学も期待できる人物でなくなった。いまや悲しいかな、
父は子に友達感覚で接し、子には将来の道標を失くした悲劇の始まりかもしれない。
昔の怖いものは地震、雷、火事、親父で、一番は親父だったが時代の変遷は残酷だ。
老いた父は時代に取り遅れPCはじめ機器操作に疎く銀行の金の出し入れも難しい。
オレオレ詐欺も泣いて済まされない高齢の無知が原因だが、かつて父は能力があり
自信があり説教があり威厳が存在していたし、父は子より遥か高いところにあった。
素直に父を尊敬する時代はもう来ないのか?将来の少子高齢化社会は父の存在感が
ますます薄くなり働きも出来ず僅かな年金暮らしで社会の邪魔者扱いになっていく。
文明の発達は長い期間に培われてきた家族の伝統も親子の愛情さえ失われつつある。
いつの時代になっても人として子を愛し父を尊敬できる情を持ち続けたい。