隠居の独り言(1135)

ラテン音楽は生涯の友だが歌っている歌詞の殆どが男女の愛の言葉に満ち溢れている。
例えば有名な歌、ベサメムーチョはBesame besame mucho como si fuera esta noche
la ultima ves中略 Quetengo miedo perderte perderte despues後略・・和訳すれば
キスして、もっとキスして、今夜が最後かもしれないから、君を失うのかと不安なのだ・・
自分はラテン諸国へ行ったことがないので不確かだがラテンの男は恋人や奥方に対し
日常茶飯事的に愛の言葉を発しているらしい。旦那さんがお出掛けの時もお帰りの時も
ベサメムーチョがご挨拶なのだろう。そこへくると日本の男性諸氏は殊更、褒め言葉が
苦手で「愛しているよ」なんて言うくらいなら死んだほうがまし、と言う男性が多い。
若い独身期なら好きな恋人が出来れば或いは清水の舞台から飛び降りる勇気を出して
言葉に出すけれど、それも少数派だろう。まして熟年夫婦ともなれば会話が少なくなる。
そのくせ伴侶に先立たれて弱ってしまうのは男の方で立ち直りの早いのは女性の方だ。
中には奥方から定年退職の日に離婚届に判を押して突き出されるということも起きる。
妻の方は息をひそめて退職の日を待ちわびているのに気付かない男性も実に情けない。
新聞である調査が行われた「熟年夫婦の結婚満足度調査」というもので、それによると
「夫婦互いの会話が多いほど満足度が高い」という結果が出た。長い期間の夫婦生活で
「言わなくても分かるだろう」がもっともいけない。阿吽の呼吸などと手を抜いては
夫婦の会話が途絶えてしまう。夫婦といえども別個の人格を持った人間同士なのだから
性格、食事、趣味の好みの違いは当たり前だ。しかし噛み合わなくても合わせるのが
生活の知恵であり自分の頭の体操にもなる。たとえ相手の愚痴や起伏のない話だって
会話のラリーの中でうまく変化を付けるのも勉強だろう。熟年の「うつ」になる人も
多いと聞く。性格的なものや、老いの孤独感、喪失感など様々だが原因は不明らしい。
「夫婦とは長い会話である」哲学者ニーチェの言葉をしみじみと噛みしめたいと思う。
人生を明るく全うするには晩年の夫婦の会話が基本なのは言うまでもない。