隠居の独り言(1148)

今年の3月11日は東日本大地震から満2年になり不幸にも亡くなられた方からすれば
三周忌にあたる。地震が大きかっただけに、あらゆるマスメディアが特集記事を組んで
「二年目の現場」「この惨事を忘れない」「絆を大切に」等々の、その手の話題や写真の
新聞、雑誌、TVは3,11一色でアマノジャクの自分は、やり過ぎに気分がしらけてくる。
TVのキャスターが現地入りして被災の模様を、したり顔で解説するのもうんざりする。
無論、震災の経験は将来に伝えていくべきだが、自分が体験した少年期の何年にも亘る
戦争の苦労や飢餓から比ぶれば、被災者には悪いが報道特集は大げさ過ぎるのではないか。
自分にも福島に親戚が何軒かいるが地震の際に家も壊れ多大の被害を被ったが今では
再建して立ち直ろうとしている。日本中の慰めのフレーズより仕事の順調を望んでいた。
自然災害は恐ろしいが避けるすべなく人の知恵の及ぶところでない。まして日本列島は
地震の巣であり過去に起きた災害の多さが物語っている。震災は忘れた頃にやってくる。
我々の祖先は自然災害に対して耐え忍び甘んじて受けてきた。東日本大地震は全国から
世界からも支援の手が差し伸べられ義援金やボランティアの人たちが被災地で働いた。
それは当然だろうが、自分が体験した敗戦の悲劇や飢餓体験には誰からの支援も無く
生きてゆかなければならなかった。戦争で何百万人もの命を失い苛酷な体験を積んだ。
戦争であれ地震であれ被害に遭われた方は気の毒だが、震災にかぎって被害はずっと
語り継いでいかねばならない、自然災害に向けての準備をしなければならない、等々の
言葉を食傷気味になるほどマスコミはここぞとばかり報道する。比較にならないほどの
被害の大きかった戦争の反省や今後の国防を語るマスコミの少ないのは何故だろう?
近隣諸国の現実的な脅威から避けて通ろうとする人の論理が正義の味方になっている。
3,11の報道も大切だが3,10の東京大空襲の方が人的被害も多いのにマスメディアは
戦争の案件は、あまり報道せずに「地震報道特集」はわざとらしい。被災者からみれば
立ち直ろうとしている時だけに特集記事でなく、そっと陰ながらの支援の方が嬉しい。
死者・行方不明の方が何人だの、津波に遭った土地が何ヘクタールだの、仮設住宅
住んでいる人が何人だの、ことさら数字の冷たさは被災に遭われた心情を思ってか?
特集は悲しさを思い出させて却って酷ではないか。そんな気がする。