隠居の独り言(1153)

「蛤御門の戦い」の政変に破れた長州は三条実美篠井英介)ら七人の公家を擁して
京から落ちて長州に去っていった。会津藩・容保(綾野剛)は勝った。でも考えれば
あれだけ苦労をしながら勝利の実利を得ず、利は薩摩藩が得たことになる。その日から
維新成立に至るまでの経緯は西郷吉之助(吉川晃司)率いる薩摩藩の権謀術中に操られ
歴史は薩摩の一手に握られた。会津は単に朝廷の護衛官でありつづけたにすぎなかった。
長州は京に足場を失い完全に失落したが、その恨みは薩摩と会津に向けられ両藩には
「薩賊・会奸」として増悪し、そのうえ会津藩預かりの新撰組は京都潜伏中の長州人を
徹底的に斬った。近藤勇(神尾祐)や土方歳三村上淳)らの新撰組が最も活躍した
時期であったが斬ることが新撰組の思想的正義であっても長州人には恨みは深かった。
幕府は帝の命により長州征伐に踏み切るが一回目は長州が禁門の変の責任者の首級で
恭順の姿勢を示すが、二回目の征伐には各藩が乱れて長州と休戦協定を結ぶことになる。
でも時勢の変遷というのは容保には不可思議なもので、あれほど固く握った薩摩藩
二年後には密かに京に潜入した長州と坂本竜馬の仲介で秘密同盟が結ばれていたのを
容保は知らず、相変わらず薩摩藩を同士だと信じていた頑な気持ちが会津を駄目にした。
会津の転落はここから始まる。相手を信ずる難しさはあらゆるものの永遠の課題であり
薩長同盟を感知できなかった会津を責めるつもりはないが東北人の純粋が悔やまれる。
NHK大河ドラマ「八重のさくら」は、京から帰国した秋月悌次郎北村有起哉)は
八重(綾瀬はるか)と川崎尚之助長谷川博己)に覚馬(西島秀俊)からの伝言を語る。
以前提案した八重と尚之助の縁談を取り消し尚之助に他藩への移籍を促すものだった。
八重は激しく動揺し針の稽古もままならない。一方尚之助は新しい銃を完成させるため、
作業に勤しんでいた。数日後、銃を完成させた尚之助は意を決し、八重に求婚するが…。
京では長州攻めが中止となり容保ら会津藩士は出鼻をくじかれる。西郷吉之助の翻意で
征長軍は一戦も交えることなく兵を解くことになった。