隠居の独り言(1159)

NHK大河ドラマ「八重の桜」は佳境だが、八重の故郷、会津ではこの時期、八重桜の
花見客で賑っているだろう。幕末に八重(綾瀬はるか)と川崎庄之助(長谷川博己)が
結婚した元治2年も鶴ヶ城下では大火の騒ぎはあっても京の騒乱とは無関係のように
穏やかな日々が過ぎていた。京では、あれほど固く手を握った西郷吉之助(吉川晃司)
率いる薩摩藩坂本竜馬の仲介で密かに京に潜入した長州人、桂小五郎及川光博)と
薩長秘密同盟が結ばれたが、この同盟は完全に秘密を守られ薩長両藩の家中も知る者は
要人のみだった。当然会津藩は裏切られたことを知る由も無く藩主・容保(綾野剛)は
相変わらず薩摩藩を固い同志と信じて疑わなかった。そして帝と幕府に対しあくまでも
「至誠」を貫く清廉さが会津藩に悲劇をもたらすことになる。慶応2年、徳川宗家の
慶喜小泉孝太郎)が15代将軍に宣下され御礼言上のため御所に参内すべく宮中に
連絡すると以外にも孝明天皇市川染五郎)は病気で伏せていられるという。容保は
二条城で慶喜に尋ねられ「存じませぬ」と答えたが容保は寝耳に水の話に愕然とする。
帝への忠誠心深い容保はその日から毎日御所の詰所に通い議奏の公家から帝の病状を
聞いていた。高熱があり日々容態は悪化していく。そして帝のお顔に吹き出物が出た。
典医から天然痘と診断され既に施すすべも無かった。京ではあらゆる寺社で御平癒の
祈願がなされたが効果も空しく、日が立つにつれ発疹の密度が濃くなり遂に崩御された。
詰めていた容保は放心し、立ち上がることも叶わず家老にかかえられて御所を去った。
TVでは容保が崩御の知らせを突然知った様子になっているが資料としては違っている。
突然の帝の崩御は暗殺説も流れたが、当時の天然痘は死に繋がる病であり御不幸だろう。
孝明帝の崩御でその後の政情が一変する。薩摩が後ろ盾の幼帝、明治天皇が即位された。
その後、朝敵であった長州藩が許され官位も復されて討幕の気運は益々高まっていく。
帝のため幕府のため尽くした今までの会津の苦労は何だったのか?藩は途方に暮れた。
ドラマは会津の大火で行方不明になっていた、みね(豊嶋花)を三郎(工藤阿須加)が
見つけ出した。そして、みねを捜しに火元近くを彷徨っていた、うら(長谷川京子)を
尚之助が救い出す。みねの無事を確認し涙するうらの姿を見た八重は、うらがどうして
みねを厳しく叱るようになったのか本当の理由を知る。