隠居の独り言(1166)

NHK大河ドラマ「八重の桜」のストーリーは幕末から明治へと過渡期に入っている。
慶応3年10月14日、慶喜(小泉孝太郎)は二条城に京在住の諸侯を集めて大政奉還
建白した。これは薩長による武力倒幕を避け徳川家の勢力を温存したまま天皇の下での
諸侯会議で改めて国家首班に就くという構想だったと見られる。 しかし諸国の大名が
様子見をして上京しないまま会議は開かれず逆に旧幕府旗本や会津などの過激勢力は
薩長討つべしと息巻き旗本の中には無許可で上京するものも相次いだ。翌年1月3日、
鳥羽伏見の戦いで圧倒的な兵力を有していた幕府軍は僅か数千人の薩長軍に敗北する。
薩長軍はすべて新式鉄砲で装備されていたために会津藩はじめ幕府軍は旧式の鉄砲や
刀槍部隊が主力ではどうしようもなく死傷者が続出し戦闘は悲惨を極めたが、そのうえ
寝返りする藩も多く開戦後3日目に薩長軍に「錦の御旗」が授けられ「官軍」となった。
幼帝の詔勅ということだったが、誰が錦旗を考案し正面に押し立て官軍と称したのか、
藩の多くが魔法にかけられたように薩長の意のままに錦の御旗の下に参入していった。
慶喜は尊皇思想の水戸家に生まれ育ったがゆえに官軍の敵になることの汚名を嫌った。
昔の道鏡足利尊氏のように逆賊として後世の歴史に名を留めることは堪えられない。
慶喜は朝には「薩長を討つべし」といい、夕方には「自分は逃げる」といい朝令暮改
錯乱状態にもみえる焦りは幕府軍側にとって迷惑このうえなく仕方なく敗走を続けた。
でも慶喜の優柔不断さが結果、日本の内戦から救ったといえるので隠れた功労者だろう。
大阪城にいた会津藩主・容保(綾野剛)には、にわかに信じられない一連の流れだった。
ドラマは大政奉還の知らせは会津の八重(綾瀬はるか)にも伝わり尚之助(長谷川博己)は
藩から軍備増強策を実現するよう指示される。八重たちは京の会津藩の動向がわからず
不安を募らせていく。京では息を吹き返した討幕派の藩士や浪士達が会津藩新選組
嫌がらせを繰り返していた。そして覚馬(西島秀俊)にも討幕派の浪士達が襲いかかり、
視力を失いかける覚馬は斬殺されそうになる。その危機を小田時栄(谷村美月)が救う。
時栄は大垣屋(松方弘樹)が覚馬の視力を心配して送り込んだ下女だった。