隠居の独り言(1175)

10年も前に会社の慰安旅行で会津地方に遊びに行ったことがある。鶴ヶ城から
猪苗代湖まで約20キロ程度の距離で、その中間に飯盛山がある。考えてみれば
会津の戦場は思っていたより狭い場所で、あれほどの戦死者が出る激戦をした
場所だとはとても思えない。ごったがえすような狭い所で白虎隊の幼い兵士たちが
必死に暴れて城と運命を共にした行動は身につまされる。今でも会津の人たちは
白虎隊を郷土の誇りとして賛美する気持ちは会津の気質と悲運を物語っている。
慶応4年8月、戊辰戦争は愈々大詰めを迎えていた。二本松から猪苗代湖まで
丸呑みにした官軍の精兵は湖の北岸に会津を目指して怒涛のように押し寄せた。
迎え討つは松平容保綾野剛)率いる会津軍数千だが官軍に比べて装備が悪く
大砲や鉄砲も旧式のもので官軍にとっては赤子の手をひねるようなものだった。
容保の供回りに従うのは白虎隊士37人、いずれも数え年16-17歳で少年の胸は
初陣の興奮で沸き立っていた。猪苗代湖の西端に十六橋という会津藩にとって
最後の砦がありそこに容保は白虎隊も含めて最後の守備隊を配した。無情にも
夕刻から降りやまぬ雨と強い風に浅い眠りについている隙に十六橋は陥落した。
白虎隊が使用している旧式鉄砲は先込め銃で至近距離でないと敵に当たらない。
しかも多勢に無勢、日ごろ武士は卑怯な真似はいけないと教育されていたので
大人は逃げても純真な少年達は自刃しなければならない運命を辿ることになる。
飯盛山に辿り着いたとき城下は火の手が上がっていて最後の決意をしてしまう。
ドラマは、二本松を陥落させた新政府軍はついに会津領内へと陣を進めてきた。
竹子(黒木メイサ)は戦に備え女性による薙刀隊を編成する。城下には触れが回り
権八(松重豊)と尚之助(長谷川博己)も登城することになり八重(綾瀬はるか)も
自分も一緒に出陣したいと懇願するが権八に一蹴される。戦況はますます悪く
会津藩士らは続々出陣していく。ついに予備である白虎隊にも出陣命令が下り
八重は砲術を指南した伊東悌次郎(中島広稀)始め隊士達に最後の助言をする。
そして登城の触れがとうとう八重たちにも回ってきた・・