隠居の独り言(1177)

1868年8月の会津は77年後の1945年8月の日本に似ている。間違いも多かったが
良かれと思ってしたことが世間の憎しみと責任を一身に背負わされて袋叩きになった。
戦前の日本は国連に「人種差別撤廃法案」を出したがために欧米諸国の反感を買い
大戦の遠因になったのは事実であり、幕末の会津藩は長州の志士を切り、蛤御門や
鳥羽伏見で先頭に立ったので、官軍に恭順の意思を伝えても聞き入られず徹底的に
打ちのめされた。会津一藩が全国相手に玉砕のように散っていったのは何とも悲しい。
それでも悲劇を食い止めるチャンスは何度かあった。大政奉還後に会津桑名藩への
帰国命令が出たがこの命令を無視してしまう。容保(綾野剛)の兄の徳川慶勝から
「もう十分功名は立てたのだから大人しく帰りなさいよ」と勧められたが、きっぱり断る。
容保が権力の座に執着せず降伏すれば東北にあれほど戦禍は広まらなかったろう。
白虎隊の隊士が飯盛山で自害したことも美化され、先の大戦で富国強兵政策を取る
政府によって軍国主義の寵児として有名化されたことも複雑な気持ちになってしまう。
容保に言わせれば幕府に頼まれて京都守護職の職務を忠実に遂行し孝明天皇
尽くしただけのことだった。その職も自ら望んだわけでない。慶喜(小泉幸太郎)始め
松平春嶽江戸幕府要人の要請でやむをえず引き受けただけのことではなかったか。
政治の不思議は容保を説得した松平春嶽薩長側の官軍につき徳川宗家の慶喜
自分の保身と朝廷政策上、容保を邪魔者扱いにした。まさに会津は四面楚歌であり
滅びるままに人は殺傷され城下は火の海になり女子供とて会津人は許されなかった。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」今の靖国神社の前身の「東京招魂社」は戊辰戦争
政府軍の戦死者のみが祀られ、旧幕府軍奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外で
今に至って変わらない。ドラマは八重(綾瀬はるか)は半鐘鳴り響く城下を家族と共に
鶴ヶ城に入城した。城の守りが手薄であることを知った八重は自らが鉄砲隊の指揮を
執ることを名乗り出るが神保内蔵助らに「女の出る幕ではない」といさめられてしまう。
だが八重は男も女も会津全ての戦いだと訴える。出発が遅れたユキ(剛力彩芽)達は
閉門に間に合わず敵弾飛び交う城下を逃げ惑う。そして頼母(西田敏行)の登城の後
自邸に残った妻・千恵(宮崎美子)たち一家は自刃の道を選んで壮絶な最期を迎える。
一方、政府軍の大山(反町隆史)らは鶴ヶ城へ向けて一気に兵を進めるが城内からの
精度の高い射撃に進軍を阻まれる…。