隠居の独り言(1179)

戦後になって「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットして平和の喜びを歌ったが
戦争とはこういうものだと知るにはここ2,3回の「八重のさくら」のドラマを見るといい。
ついにここまできた籠城戦で見せた会津の人たちは身を寄せ合って心を一つにした。
四方を敵に囲まれて玉砕のように散る幕末の会津はまさに先の大戦末期の日本の
断末魔の様相を呈している。故郷が滅び行く悲しさ、悔しさ、怒りは、これまで保った
会津魂が仇になって理念も理性も捨て鬼になって死も厭わず官軍と最後まで戦った。
砲煙の中に圧倒的な軍事力と人数の官軍を迎え少年や女性さえも刀槍をとって戦い
散っていく。それは単に武装集団の武士達の戦いでなく藩の憎しみが憎しみを生み
会津全ての住民を含めた民族の総力戦であった。それは先の大戦の都市の空襲や
原爆のように庶民まで巻き込んだ民族の総力戦であり戦争の概念を通り越している。
人間の残酷性は敗れた者への慈悲は無く勝者は敗者を虫けらのように扱ったさまは
現在に至っても怨恨を残している。たとえば明治になって東北南部に県が創設のとき
常識的には大藩だった会津に県庁が置かれるはずなのに寒村だった福島にされた。
余談だが自分の故郷・姫路藩も徳川側についたために県庁は漁村の兵庫になった。
城下町は完全に焦土化され多くの藩士が戦死し降伏したあとの藩士たち6000軒は
不毛の辺地の青森県斗南地方に追放された。それは先の大戦アメリカやロシアの
無慈悲なやり方に似て今に至っても将来に亘っても薩長への怨恨は消えないだろう。
結局、容保(綾野剛)のあくまで至誠を貫く清廉さが会津の悲劇を生むことになった。
鶴ヶ城内の八重(綾瀬はるか)のもとへ日新館が焼失して重傷者たちが自害したという
知らせが届く。怒りを抑えきれない八重は城を出て新政府軍を討つため夜襲に出る。
城内の守備は整いはじめていたが敵は最新の兵器と共に続々と会津に集結していた。
一方、中野竹子(黒木メイサ)は母のこう(中村久美)や妹・優子(竹富聖花)ら女性達で
婦女子隊を結成し薙刀を武器に新政府軍に戦いを挑んでいた。けれども奮戦むなしく
竹子は銃弾に打ち抜かれてしまう。鶴ヶ城陥落が迫っていた。