隠居の独り言(1185)

今週の土曜日(7/27)から全国ロードショーでスタートする映画「終戦のエンペラー」が
話題になっている。終戦間もなくの1945年9月27日に昭和天皇は米大使館を訪れ
連合国軍総司令官マッカーサー元帥と歴史的会談を行った。記念写真で昭和天皇
モーニング姿の直立不動でカメラに向かい、その横でマッカーサーは軍服姿で悠然と
腰に手を当てて写真に納まっている。今の中高年以上の方はこの写真を見ているが
写真が新聞に載ったとき日本人の多くが衝撃的に感じただろう。それはこの写真が
「戦争は終わった」「日本が負けた」の日本人の心情が圧縮されたものであってからだ。
終戦のエンペラー昭和天皇は以前から冷徹な歴史観と国際感覚をお持ちだったのに
戦前になぜ無謀な戦争を止められなかったのか。戦前に何度も御前会議が行われて
慎重派意見もお聞きになったはずなのに阻止できなかった後悔の念はいかばかりか。
毎年暑い夏が来れば必ず思い出す終戦前後の苦しかった生活の日々は一生の中で
最も暗闇の部分だった。軍国少年のはずだった自分もその志はどこかに消えていた。
ほぼ毎日、敵機が低空飛行で通り過ぎていく疎開先の恐怖、暑いさなかでも空腹で
働いた少年の懸命さ、それは最低限の生きるためだけの欲望しか残っていなかった。
終戦の年は小学6年だったが学校はあっても授業より勤労奉仕の食糧生産が先で
校庭は畑に変わり高学年は近くの山の開墾に携わり軍歌を歌いながら日々行軍した。
今の人がどんなに当時を想像しても体験した実感は語り尽くしても分かるはずがない。
戦争に負けるという屈辱と事実は古今東西の敗れた人たちに共通するものであれば
二度と無謀なことをしてはならない。それには理屈抜きで強い国と仲良くしなければ
生きていけないことは小学生でもわかる。戦後での世界は「アメリカ一強時代」であり
日本はアメリカに従い独自の外交政策が無くても今日までこられたのは幸せだった。
でもどんな国でも独立とは何より国旗国歌を定め必ず軍隊を持つことが国家の形だ。
アメリカ製の憲法金科玉条のように崇めアメリカの属国になりながら、もう一方では
口先だけでアメリカに楯突いて鬱憤を晴らしている変な政治家がいるかぎり終戦から
67年も過ぎて中高年になったのに未だ親離れできない子供のようだ。そのアメリカも
往年の実力は影をひそめている。日本が曲がり角にきている現実を真剣に考えよう。