隠居の独り言(1186)

NHK大河「八重のさくら」は会津滅亡で前半の物語は終了し、後半のドラマに入る。
鶴ヶ城が陥落して戊辰戦争は終わったに等しいが、それとともに本来の武士道に
徹した唯一の藩が滅び日本独特の儒教思想に立脚した封建社会が終焉したことを
意味している。江戸幕府が発足して260年、幕府が崩壊するまで政治の「公儀」を
重んじた藩は会津をおいて例を見ないだろう。会津藩に日新館という藩校があった。
武士の子は六歳になると入学し論語素読などとともに「童子訓」を暗唱させられた。
その一節に「人の隠し事を聞きだし或いは窺い見るべからず。朋友は善を責むるとて
意見を云うは人の道なれど故なくして人の過去は云うべからず。古き過去は尚更なり。
財利の話、価の高下、色欲の話すべからず、これ等のこと慎み戒むべし」武士の道は
人格の形成が目的であり知識の多少を問うものでなく、まして金銭の利益を追うのは
卑しいとされた。武士は食わねど高楊枝、子に美田を残さず、比喩でなく現実だった。
初代会津藩主・保科正之から延々と続いた日本人の誇りというべき純粋な武士道の
精神を維持した藩は全国広しといえども会津をおいて他にない。幕末の混乱期には
各藩で脱藩して思想に走った下級武士も多かったが会津武士は結束の心を貫いた。
会津にとって幕末に帝に尽くし公家を貴ぶこれまでの公儀節操を貫いたはずなのに
賊軍の汚名を着せられ理不尽そのものだが時流に乗れなかった不器用が仇になる。
ドラマは会津戦争から半年が過ぎ八重(綾瀬はるか)達は米沢藩の知人宅に身を寄せ
食いぶちを稼ぐため反物の行商をしていた。捕らえられた尚之助(長谷川博己)からの
便りはなく八重は不安を募らせる。その後、藩主容保(綾野剛)の家名と命を救うため
会津は家老・萱野権兵衛(柳沢慎吾)の斬首という惨い犠牲によってお家断絶を免れ
青森斗南へ移されることが決まったがその辺りが封建社会の悲劇そのものであった。
そして筆頭大参事となった大蔵(玉山鉄二)はいつの日か会津の土地を取り返すため
思いを募らせる。一方、箱館五稜郭で最後の戦いを続行していた旧幕府軍は萱野の
処刑が執行された同じ日に遂に降伏をした。鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争
ここに終わる。一方、米沢で新しい生活を始めた八重達のもとにお家再興の知らせが
届き何やら京にいる覚馬(西島秀俊)にも動きが…。