隠居の独り言(1203)

歴史を振り返る。今から73年前の9月27日、日本の「重大な歴史の一瞬」があった。
その日、ベルリンで調印された日独伊三国同盟はどう考えても無責任で軽率すぎた。
日本国内でどれほどの議論が尽くされたのか、国会での論戦があったわけでもない。
広く世論に訴えた事実もない。日本の運命を決定づける「調印」にしては、あまりにも
思慮が無さすぎた。同盟締結後に奏上を受けた昭和天皇は日米関係悪化の危惧を
憂慮されて「今しばらく独ソの関係をみきわめたうえで締結しても遅くはないのか」と
近衛首相に質したが「ドイツを信頼しています」と奉答したという。何と粗末なことよ!
この日から三国枢軸側と米英ソなどの連合国との対立は抜き差しならぬものとなり
日本は破滅への道をまっしぐらに進む羽目になっていった。でも当時の日本だけが
悪いわけでない。1919年、第一次世界大戦後のパリ講和条約での日本が提出した
世界で画期的な「人種差別撤廃案」は17か国中14国が賛成したのに議長国だった
アメリカが強引に葬ってしまった。白人支配の植民地主義に都合が悪かったのだろう。
ついで日本にとって虎の子の日英同盟を解消させたのもアメリカであり排日移民法
日本に不利な軍縮案も嫌がらせだった。出る杭は打たれる譬えのように有色人種の
日本が日露戦争でロシアを破り破竹の勢いだったのが白人国の癇に障ってしまった。
アメリカに対していかなる敵対行動もしなかったのに日本への石油と鉄の全面禁輸、
在米の日本人資産凍結までした。解除を求めた日本に対し海外からの全面撤退など
屈辱的な条件を突きつけ日本からの戦争を仕掛けるよう仕向けたアメリカの戦略に
見事に嵌められて勝利可能性ゼロ%と知りながら真珠湾攻撃の火ぶたを切らされた。
しかもルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知りながらアメリカ国民に知らせず
将兵3000人が戦死しても「卑怯者・日本」のレッテルで、リメンバーパールハーバー
真珠湾を忘れるな」と自国民に戦争鼓舞する言葉とした。日米どちらが悪いのか?
古今東西、歴史は勝者によって作られる。負けた日本はすっかり悪者に洗脳されて
アメリカ製憲法金科玉条に崇める。戦後マインドコントロールから早く解放されたい。