隠居の独り言(1209)

前回の男と女のサガの違いの話の続き。若い男、とくにハタチ歳前後の精力が最も
盛んで、はちきれんばかりの時期は真面目な面よりサガを発散することばかり考える。
男として生まれたからには誰もが体験し、妄想することは人間も生き物の一種だから
♂としての本能的なものはキレイごとばかりでない。「水清ければ魚棲まず」であって
あまり清廉潔白な社会と人では息苦しくなる。ほどほどの濁りや澱みのあったほうが
生きやすい社会だろう。一日5回の祈り、未婚の男女の交際禁止、化粧はご法度、
女は体の線を隠せ、音楽&ダンスはNO、酒は飲むな、姦通は死罪、豚肉は不浄・・・
禁欲極まった宗教の国や、一人の将軍様の幸せのため餓死者を省みない国もある。
話はそれたが、最近の陰湿な性犯罪の大きな原因の一つに男のサガの発散場所が
無くなったことがある。(こんなことを書くと下種な人間と思われるだろうがそれでいい)
昭和33年3月31日をもって赤線の灯が消えた。売春防止法が施行され50年以上
過ぎたが、これで世間が清く正しく美しくなったわけじゃない。むしろひどくなっている。
最近はあの手この手の風俗産業が隆盛で援助交際との言葉も古臭く感じられるほど
素人の女の子の貞操観も地に堕ち、その道のプロとアマとの垣根が低くなったのは
実に嘆かわしく思う。売春防止法が良いとか悪いとかではなく最近の性犯罪の多くが
短絡的で陰湿的なのも裏の世界に入ったからだ。昔は性に対して奔放で明るかった。
男の遊びは暗黙の了解があったし、それで社会秩序が保たれた時代が長く続いた。
自分は落語ファンの一人だが古典落語の殆どは遊郭にまつわる遊びのストーリーで
遊郭なくて落語はつまらない。「文違い」「三枚起請」「五人廻し」「鰻の幇間」「山崎屋」
噺の多くが遊郭を舞台に男と女の騙し合いを面白おかしい話題で最後に落とすのが
独特の落語文化だ。歌舞伎の「助六」「曽根崎心中」も遊郭が舞台は言うまでもない。
今昔の男女観が文学にも表れている。一昨年の直木賞木内昇漂砂のうたう」は
明治の根津遊郭が舞台でとても味わい深く人情味ある作品だったが同じ直木賞でも
今年、桜木紫乃の「ホテルローヤル」は現代風に世間に背を向けた男女の短編集の
読書感は陰気臭くて好きになれない。平成の感覚からは昔に戻すには無理だろうが
風俗の問題は緊急の課題として捉えるべきだ。