隠居の独り言(1229)

年末になるといつも思い出すは自分が8歳だった1941年12/8日、日本連合艦隊
ハワイの真珠湾に奇襲攻撃を掛けて第二次世界大戦が始まった。奇襲と言われるが、
在米大使館員が宣戦布告の通告の手違いで正当攻撃として扱われなかったのが、
惜しい結果になった。それとは他に、時の米大統領ルーズベルトが事前に知っていて
空母や主力艦隊など別の場所に避難させ致命的な損害は免れた事実もあったが、
ルーズベルトは逆手にリメンバーハールハーバーと言い宣戦布告無しの奇襲攻撃で
日本は卑怯な国とアメリカ国民をアンチ日本、卑劣な蛮行を許すまじと戦争を鼓舞し
真珠湾を利用した。戦争は当然に戦闘の他に彼我の国力差、諜報活動、戦略面など
様々な要因が重なって勝敗が決まる。日本は無益な日独同盟や泥沼の日中戦争
アメリカと関係を悪化させ圧倒的な国力差も顧みみずに無謀な戦争に突入したのか。
当時の日本の軍事力はアメリカからの鉄鋼や石油の輸入があってこそ存在したのに
素人でも判断できる無謀な戦略は今も分からない。あの名参謀で知られる司令長官、
山本五十六でさえアメリカといかに戦うということを考えていたというから日本人
全て精神論と過去の奢りしか無かったということになる。過去に日清、日露戦争
完勝し第一次世界大戦でも勝者側に加担し、日中戦争も勝ち続けたから奢りの自信だった。
中には700年前の元寇のように日本には神風が吹いて勝利に導いてくれると思った。
かくいう少年も熱狂的軍国主義者で鬼畜米英は恐るるに足らず勝利は確信していた。
なにも軍部だけの責任ではない。日本人全体が阿呆に付ける薬が無かったのだろう。
でも今更過去をなじっても仕方ない。二度と阿呆な戦争と敗戦を繰り返さないために
過去を学び取らなければならない。例えば日露戦争後にアメリカが満州を日米共同で
経営しようと提案があったが日本は蹴った。第一次世界大戦で同盟国のイギリスが
日本に陸軍の派遣の要請があったが蹴った。「寄らば大樹の陰」の格言を忘れていた。
米英と手を結び集団的自衛権を大切に持ち合うことが過去の失敗の学習であるのに
今でも反対勢力のいるのには困ったものだ。折しも、このほど中国は東シナ海上空に
防空識別圏を設定し日本に圧力を掛けるが、今こそアメリカとの安保条約の重要さを
認識しなければ、やがて中国に呑み込まれる。平和とは叫ぶだけでは手に入らない。
大切な友人と手を携えて我が国も強くならなくてならないことを近現代史は教えている。